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爺放談〜ウシにも言わせろ!〜

 

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2004,2,28 御礼/信夫山連携サミット終了
2004,2,25 漆黒の闇/思えば遠くに来たもんだ
2004,2,16 吉野家/牛丼一筋○○年〜♪
2004,2,11 詐欺事件/NPO法人が配当未払い!?
2004,2,10 暁参り/星が綺麗、街が綺麗、月も綺麗
2004,2,8 雪また雪・・・/共同作業所のNPO法人化

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御礼/信夫山連携サミット終了 2004,2,28
【備忘録】
信夫山連携サミット当日 ◆大学院時代の有志で指導教官等の送別会
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せいぜい50〜60名参加すれば成功かなと思っていた「信夫山連携サミット」だが、じつに150名近くの参加を得て成功裡に終了することができた。
準備した机や椅子が足りなくなるというハプニングもあり、余裕を持って100部用意した参加記念の散策マップまで足りなくなり、慌てて50部ほど追加して配布した。

いくら天気が良かったとは言え、こんなに沢山の方々に集まっていただき正直驚いている。
ちなみに、参加の最高齢者は92歳の方で、若い方は30代くらい・・・やや年輩の方が多いのは仕方ないだろう。(笑)

前福島県教育長で、福島県文化センターの前館長でもあった杉原陸夫先生に「私の信夫山」という題で基調講演をしていただいた。
かつて大相撲の関脇に「信夫山」という力士がいて・・・と、いきなりその話からはじまった時にはどうしようかと思ったが、さすが上手にまとめていただいた。

活動報告の発表は、予定していた団体だけではなく、飛び入りで多くの方々がそれぞれ違う立場で意見発表してくれたのが良かった。
地域で生活する立場の方からも意見が出たり、自分自身もとても勉強になった。

こうして思えば、やはり信夫山は多くの人たちに愛されているのだなぁと感じる。
なんだかんだ言っても市民の憩いの場としての信夫山なのだ。
様々な団体や関心のある個人を横断的にネットワークするこのような集まりは、じつははじめての開催となる。
準備やらなにやらいろいろ大変だったが、企画して良かったと思っている。

漆黒の闇/思えば遠くに来たもんだ 2004,2,25
【備忘録】
都路村でNPO勉強会の講師 徹夜明け
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都路村の商工会からNPO法人について講師をお願いしたいとの話をいただいていたので、仕事が終わってから高速を飛ばして出かけた。
夜7時からの開催だったが、結局ぎりぎりの到着となってしまった。

今回は講演の模様をビデオに撮るために、NPOの事務局スタッフに同行してもらったのだが、海に抜ける山間部の道行きの暗闇が珍しいらしく、えらくウケていた。
考えてみれば、人工的な照明が当たり前のところに住んでいると、星空の明かりしかない場所は普段体験できない珍しいモノなのだろう。

対向車もほとんど来ない夜道を急いでいると、時々蛍光灯の明かりを見つけることがある。
人家かと思うと、これが自動販売機だったりする。
誰が買うのかは分からないが、こんなところにも自販機はあるのだ。(笑)

勉強会を主催した商工会青年部の皆さんは、全員で7名ということだった。
会場に集まっていただいた方々は、首都圏からのIターン者の方を含めて10名ちょっと。
それでも一所懸命に聞いてくれていたのが印象的だった。

夜も更けた帰り道、2つ隣にある大きな町まで、とうとう第一村人を発見できなかった。(笑)

吉野家/牛丼一筋○○年〜♪ 2004,2,16
【備忘録】
信夫山連携サミットの打ち合わせ
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先週、ついに吉野家の牛丼が販売休止に至ってしまった。
キン肉マン「スグル」は、さぞかし嘆いていることだろう。

吉野家は、業務拡張の失敗により1980年に会社更生法の申請をしている。
その後、7年余りの間に債務を返済し奇蹟の復活を遂げた。
自分としては、キン肉マンの連載が始まった頃でもあり、スグルの「牛丼一筋○○年〜♪」のフレーズが強力に更生の後押しをしたのだと思っている。
でも、作者の談によれば、キン肉マンに出てくる牛丼は、本当は「なか卯」がモデルらしい。(笑)

あの騒ぎの最中は、意地でも食べるものかと思っていたが、いざ落ち着いてくると久しぶりに食べたいと思う。
普通列車で郡山に通勤していた頃には、郡山駅前の吉野家で朝ご飯に牛丼を食べるのが習慣だった。
朝定食があるのに・・・朝から牛丼。それも「ギョク」付き!(笑)

ちなみに、ニューヨークの吉野家では、牛丼(beef bowl)を出しているらしい。
アメリカのBSEが原因で牛丼が休止になったと言うのに。なぜなんだ?
でも、さすがにニューヨークは遠すぎる。
まっ、香港にもシンガポールにも吉野家はあるのだが・・・やっぱり遠い。
東京の築地創業店は、意地でも牛丼の販売を続けるそうだが、それでもまだまだ遠い。(笑)

ヤフーオークションで探してみると、レトルトの吉野家の牛丼の具が出品されていた。
並盛5食で2000円〜3000円くらい。これにクール宅配料金が加算されるようだ。
出品リストを見ているうちに、業務用の箱を見つけた。
1.5kg(約10人前)が6袋入っている(つまり60人分ってこと)らしい。

家庭用のレトルトは分かるが、なぜ業務用が・・・(@_@)?
あの牛丼は他でも売られていたのか??
普通に考えれば吉野家のスタッフが、どさくさに紛れて勝手に持ってきたとしか思えない。
それとも、以前から自分用に確保していたのか?
それにしても、倫理感が問われる話だと思う。

でもって、結局のところ穴場はお膝元にあった。
JRA福島競馬場内の吉野家では、場内に出店する際の契約事項で勝手に販売品目を変えることができないため、開催日に限って牛丼の販売を続けているらしい。
国産と豪州産の牛肉を使っていて、値段も高くなっているみたいだが・・・。
それでも、関東以北では福島が唯一の営業のようだ。

競馬と牛丼をセットにした、入場券は発売されないのだろうか?
今だったら、きっと売れると思うが・・・(笑)

詐欺事件/NPO法人が配当未払い!? 2004,2,11
【備忘録】
暁参りの後かたづけで御山に登る
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今日の朝刊に「NPO法人 配当未払い」という見出しの記事があったが、NPO法人にあまり詳しくない記者が書いたもののようだ。
NPOに関係している自分としては、この事件そのものについて怒りが納まらないのだが、正しく書いていない記事についても、少し困惑している。

今回の事件は、簡単に言えば、NPO関係者が引き起こしたあるいはNPO法人を隠れ蓑に使った詐欺事件だ。
実際には、NPOは単に隠れ蓑として使われているだけのようで、別組織の団体や会社がその舞台になっているようである。
内閣府が昨年の12月25日に出している「市民への説明要請」の資料を見る限り、ねずみ講のようなマルチまがい商法までやっている。
いずれにしても胡散臭い話しであることには変わりはない。(^_^;

報道の記事で気になる点は、いかにもNPO法人が配当を支払えるような前提で記事が書かれていることだ。
NPO法人は、役員や会員の中で収益を分配することを法律で明確に禁止されている。
この点は、もっと市民の方々も新聞記者も理解して欲しい。

つまり、NPOを舞台に「うまい儲け話」なんてあるはずがないのだ。
そんな話しがあった時点で、すでに疑ってかかって欲しい。(笑)

NPO法人は、行政の関与が少ないなど設立のハードルが低い代わりに、その後の活動ではガラス張りの運営が求められる。
言葉を換えれば、NPO法人の活動について多くの市民の目でチェックが入るということ。
だから、総会議事録や決算書などの関係書類もすべて閲覧に供されることで、情報公開がなされる訳だ。

NPO活動が市民権を得るまでには、まだまだ時間が必要なのだと思う。

暁参り/星が綺麗、街が綺麗、月も綺麗 2004,2,10
【備忘録】
信夫三山暁参りで御山に登る
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信夫山散策マップのパネルを一日山伏資料館に掲示しようとしたが、大きすぎて車(乗用車)に載りきれず断念した。
来年は、ライトバンか軽トラックを準備しなければならないと反省。

参拝路は思ったよりも雪はなく、御神坂もきれいに雪が除けられていた。
羽黒神社の下から仁王門跡の岩場あたりが多少足元が不安に思ったくらいである。
道々のライトも多く設置され、ずいぶんと登り易くなっていた。

夜の冷え込みが厳しかったが、その分天気が良くとても星が綺麗だった。
街の途中から眺める夜景も綺麗で、そのうえ月まで綺麗だった。
こんなに静かで星々の綺麗な夜は、どんな奇蹟が起きたって不思議じゃない。(笑)

雪また雪・・・/共同作業所のNPO法人化 2004,2,8
【備忘録】
会津高田町でNPO法人化の勉強会講師
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会津は二日連チャンだが、メンバーが変わるので、改めて福島から会津高田町に出かけた。
市内の道がアイスバーンだったので、高速のICまで辿り着くのが一番難儀だった。
会津は、雪が降っているものの交通機関に大きな乱れは生じていないようだ。
それでも、吹雪で真っ白だったので共同作業所を見つけられずに、隣の集落まで行ってしまった。(笑)

自分にとって、会津高田町は母方の実家があることもあり、幼い頃から馴染みの深い土地である。
今回は、障がい者の自立を支える共同作業所をNPO法人に衣替えするための勉強会の講師によばれたのだ。
親の会や障がい者支援の関係者ばかりではなく、行政側から町長と役場の各課長たちが大勢で参加していたのには驚いた。
地元町村の合併を一年後に予定しているためか、新しい地域活動の可能性というものに興味があるようだ。

NPO活動の意義やNPO法人化の手続き、NPO法人のメリット・デメリットなどを説明し、質疑応答を兼ねた情報交換を行った。
NPO法人として認証されると、行政から何らかの助成金が得られると思っていた人も居て、NPO活動の本質を理解してもらうためには、まだまだ努力が必要だと痛感した。

本来、経済的な分野で不利な条件にある共同作業所は、最もNPO活動に馴染む分野であるように思える。
しかし、単なるボランティア活動に留まらず、自立してなおかつ継続的な活動としていくためには、組織を維持しNPO活動を維持していくだけの収益を確保する必要がある。
とすれば、地域社会の一員としての活動や安心して過ごすことの出来る居場所づくりの活動などと、どう関連付けていくのか。
NPO法人化すれば済むという問題ではないだけに、いろいろと検討しなければならない事項も多い。

帰り際に、地元の名物である「開化饅頭」をいただいた。
最近は、あまり饅頭などは食べなくなったが、幼い頃の自分にとっては貰うととてもうれしかったことを思い出した。(笑)

通行止め/日本道路公団の体質 2004,2,7
【備忘録】
地域通貨の取材で熱塩加納村へ  地域通貨で手打ち蕎麦をご馳走になる
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生憎の雪だったので、米沢・大峠コース、土湯トンネルコース、東北・磐越高速コースの3つの中から高速コースで向かうことにした。
途中までは順調だったが、郡山JCTを過ぎてから磐梯熱海ICから先が事故のため通行止めとの情報があった。
結局ICが見える1km手前の標識のところで渋滞に巻き込まれた。

ここから一般道に降ろされる訳だが、待ち合わせの時間も気になるし、ぜんぜん進まないのでイライラが高じる。
JHの誘導も引込線のところで行っているので、ちっとも役に立たない。
やるなら、もっと手前からだろう・・・と言いたくなる。

渋滞に巻き込まれて1時間近くが経過、やっと料金所の手前まで来た。
しかし、単に出るだけなのにどうしてこんなに時間がかかるのか・・・。
自分が料金を払う順番が来てナゾは解けた。

料金徴収のおじちゃんの手際が悪いのである。

基本的にマニュアル対応になっているので、臨機応変に対応できないようである。
その上、円滑に車両を流すための応援要員も増やしていない。
日本道路公団というところは、お客をお客とも思わない殿様商売だから、所詮この程度の危機管理しかできないところなのだろう。

通行止めによって高速道路を通行させるというサービスが提供できなくなったのであるから、本来ならばお詫びして料金を頂かないくらいのことはすべきであろう。
本来提供すべき高速道路を通行させずに、さらには1時間も費やして一般道に降りさせるのである。
しかも、ここまでの料金はしっかりと徴収するのである。

よしんば、ここまでの料金は支払うことは良しとしても、料金を支払わせるために要した1時間についての性根が腐っている。
高速道路を使うことによって時間的な効率性が増すと宣伝しておきながら、1時間という時間を利用者に費やせて料金を徴収することには、何の疑問も抱かないのであろうか。

ちなみに、料金所で渡された割引通行券は、翌日までの有効期間で、発行した隣接のICからの利用に限り使える代物らしい。
でもって、割引は普通車で200円。
こんなものをもらうために1時間も渋滞させられたかと思うと怒りを通り過ぎて情けなくなる。

利用者を馬鹿にするのもいい加減にしろ!である。(怒)

雪月/真冬の満月 2004,2,6
【備忘録】
寝不足のまま、研修の打ち合わせをパスして仕事に復帰。寝るのが先か倒れるのが先か・・・。
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前日の雪も、朝には青空がのぞいて天気が回復していた。
それでも、日中は時折雪のちらつく不思議な天気だった。

仕事が終わって、6時過ぎに外に出てみると、東の山の際から見事な月が昇ってきた。
薄い雪雲の切れ間、まん丸いお月さんだ。
街を覆う白い雪と赤味がかった満月の光。なんとも幻想的な風景ではないか。

ビルの灯りの下で仕事する人々と寒さに身を縮めて家路を急ぐ人々。
誰もこんな風景に気付いてはいないのかも知れない。
自分自身も、真冬に満月を見たと云う記憶がない。
もちろん、季節に変わりなく月の満ち欠けはあるのだから、真冬だからと云って満月がなくなる訳ではない。
ただ、見えてはいても気付いていなかっただけなのだ。

例えて云えば、成田美名子というマンガ家の「あいつ」という作品に出てくる高2の主人公「みさと」だろうか。(全然例えになっていないような気もするが・・・(笑))
隣に越してきた風変わりな高3の男子2名との交流の中で、自分を見つけていくという話なのだが、その中のエピソードの一つに「動く月」というものがある。

みさとが隣の家でのぞいていた望遠鏡で、見ていた月が少しずつ動いて行って望遠鏡の視野から外れていく様を経験し、月が動いていることを実感するシーンだ。
理屈では知っていても実際に体験することが感動をもたらし、地球は自転し公転運動をしていることを自覚するのである。

自分で気付き、そして感動することが、自覚し理解するのに最短の道であろう。
真冬の満月。久しぶりに感動した風景だった。(笑)

研究発表会/1年間の研修の締めくくり 2004,2,5
【備忘録】
発表プレゼンテーションをクリア。5分の時間オーバーが悔やまれる。◆澤の茶屋ゆず
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ともかく終わった!
もう、何も考えたくない。
今の願いは、ただ一つ、ひたすらに眠りたい。

どんな美女が側に居ようとも、どれほど美味しい料理が並んでいようとも、薄っぺらい布団に身を横たえる幸福に勝るものはないだろう。

立春/春は名のみの・・・ 2004,2,4
【備忘録】
最後の研修1日目だが、仕事が長引いて夕方からの合流のはずが、夕食時からになってしまった。■徹夜
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いつもの年に比べると、今年は雪の日が多いように思う。
自分は雪国の生まれなので、この程度の雪では驚くことはないが、それでも雪が降り続くと何かと不便を感じる。

さて、今日から「春」。これからの寒さは、残寒(余寒)になる訳だ。
まさに、春遠からじである。(笑)

節分/年の数だけ豆を食べる 2004,2,3
【備忘録】
研修の準備が全く進んでいない。とりあえず発表要旨だけ作成する。■完徹
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関西の方の風習である「恵方巻」なるものが、コンビニに置いてあった。
なんでも、その年の恵方(今年は「東北東」らしい)を向いて、無言で一気に食べると運が向くそうだ。

自分の記憶を辿ってみても、こんなものを食べた覚えはないから、きっとみちのくには最近入ってきた流行りなのだろう。
この2〜3年、この食べ物をコンビニで見かけるので、コンビニが全国に広めた「コンビニ文化」かも知れない。
嘆かわしいことだが、TVに次いでコンビニの普及が日本の地域文化を破壊し、全国画一的な薄っぺらい文化を広げていくようだ。

じゃ、自分のところではどうなのかというと、大豆の炒り豆をまいて、それを拾って年の数だけ食べると無病息災で一年を過ごすことが出来るというものだった。
幼い頃は、年の数以上に食べたがったものだが、今となっては四十数粒も食べる元気はない。
既に、無病息災は叶わないようだ。(笑)

芥川賞 補記/新井素子デビューの頃 2004,2,2
【備忘録】
相変わらず市町村を呼んでの審査会。NPOの関係で解決しなければならない問題が山積。■徹夜
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芥川賞の2人の受賞者を見ていて、なぜだか新井素子を思い出した。
今はなき奇想天外社が主催して、1977年に第1回奇想天外新人賞の佳作となった「あたしの中の・・・」でデビューした高校生作家である。
四半世紀以上前で、なおかつSF畑の作家だからあまり知らない人もいるだろうが、自分にとっては衝撃的な出来事だった。

この佳作入選には、日本SF界の巨匠 故星新一が深く関わっていた。
いや、推薦したとかいう次元ではなく、新しい時代の旗手として惚れ込んでいたように見える。
選考経過の記録などを読むと、同じ選考委員の筒井康隆や小松左京が難色を示す中、とにかく強く推したことを記録に残すことにこだわっていた。
それだけ、星新一にとっても彼女は衝撃的な出現であったに違いない。

ショートショートの名手である星をもって「くだらんおしゃべり自体が面白くて作品が生きていると感じているのかもしれない。」と言わしめた、話し言葉がそのまま文章になったような、どちらかといえば冗長な文章。
他の選考委員をして「マンガチック」と評された科白回し。
しかし、そこには間違いなく若い感性が輝いていた。

それだけであれば、今回の二人の芥川賞受賞者もあまり変わりばえはしないであろう。
ネットやメール時代の作家としての話題性も高いのだから。

だが敢えて断言しよう、新井素子にあった伝統を破壊する個性は、そこにはない。
星新一という先輩作家に「ぼくは、これによって人生観が変わった。」とまで言わせ、虜にして止まなかった「個性」である。

追記:
新井素子と同時に佳作入選した作品に、筒井康隆が推した大和真也の「カッチン」がある。
当時は、二人とも現役の女子高校生(新井16歳、大和17歳)であった。
その点でも、今回の芥川賞を見ていて、新井素子を思い出したのかも知れない。(笑)

-----補足-----(2004.02.03)
新井素子って誰?って云う方のために、新井素子研究会、略して「素研」はこちら

しかし、あの「ブラック・キャット」が完結したという話には驚いた。
最初の話を読んだのは大学生の頃だから、20年ぶりくらいだと思う。(火暴)

【写真説明】「あたしの中の・・・」初版本 後でお会いした時にサインももらっている

芥川賞/2人の受賞女性 2004,2,1
【備忘録】
いろんなものの〆切が重なって、一日中パソコンの前で苦しんでいた。
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「トリビアの泉 やらせ」の見出しに惹かれて金曜日発売の東スポを買った。
東スポネタなので、内容には触れないでおこう。(笑)

そんな東スポの最終面に気になった部分があった。
先ごろ芥川賞を最年少で受賞した綿矢りさの写真が掲載されているのだが、どうもオヤジの目には「パンチラ」写真に見えて仕方ない。
もう一人の受賞者である金原ひとみであればそれほど気にならないのだが、そうではなかったのでどうにも気になるのだ。(マスコミの影響か、金原は奔放、綿矢は清楚というイメージが自分の中にある。)

話題づくりと揶揄される今回の芥川賞の経緯だが、自分ではある意味これが正しいのではないかと思っている。
なぜなら、芥川賞は無名若しくは新進の作家に贈られる賞であって、これで評価が定まるものではないからだ。
マスコミは「芥川賞作家」と持て囃すが、受賞者が功成り名を遂げる作家になるかどうかは未知数なのである。
その点でも、同じ世代だが毛色の違う二人の女性が同時に受賞したと云うことは意味があるだろう。
芥川賞は、ここがゴールではなく、これから作家としての苦難の道がはじまるスタート地点なのだということを忘れてはならない。

この二人の創作意欲を、いじくり回して潰してしまうかどうか、マスコミの本質が試されているとも云えるだろう。


【重要】CGIBOY日記帳 6月末サービス終了のお知らせ

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