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本日の卯月妙子。 

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2007,5,20 移動しました。
2007,5,18 おっかあより。
2007,5,17 約束
2007,5,16 嫉妬の原点
2007,5,14 ゆっくりでいいから、
2007,5,11 危険な流れになってきたので、レスはこちらに書きます。

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移動しました。 2007,5,20
これより先の日記は、http://uzukino.blog105.fc2.com/で書きます。


おっかあより。 2007,5,18
その気になったら

楽になった

損をする覚悟ができたら

楽になった

水はたえず

澄もうとしている

静かに落ち着くことだ

力むな

ゆるむな

こだわるな

生かされるまま

水のごとくに

これは、ダスキンの、社長のことば。

×××

大村はまさんの言葉より

わたしは

きかんぼうで

いけない子ですけれども

ほんとうに一生懸命に

生きていると思っていたのです

一生懸命生きて

一生懸命考えて

いろんなことをする

それで

素直にばかり

いかないこともあり

いろんなことが

ありました

しかし

ほんとうのいいひとを

めざしている

ただの

おひとよしではないと

思っていました

ほんとうのひとのほうは

本気になりすぎて

かえって気難しくなったり

こだわったりして

かえって

いい子と思われない

おひとよしのほうは

じつにたやすく

いいひとということに

なってしまう

けれども

ほんとうにひとを救う人間は

ほんとうのひとのほうではないかと

思っていたのです

母より。

約束 2007,5,17
この日はおがげさんで晴天で

波の加減も心地よくて

おらだづ

よぐまあこごさ

帰って来たがねんす

おおきにええ

おおきによう

おめさんの懐さ

こうして元気で帰って来たがえ

波の加減も人影のねえどごも

十二年変わりはねえようで

さあて次はいづ

まだ干支のひとまわりしたら

おめえさんどこさ

帰っぺが

おめさんはそのどぎなんぼだえ

足ははあよたってっぺえが

おらが背負って助けるようたぺが

干支ひとまわりして

おらだづこうして

おめえさん

おめえさんのどごさ

帰って来たがえ

×××

いいものみつけだ

いいものす

おめさんまだ

おらあ

たまげらがして

なあしてそう

おらのごど見で

おもっつぉそうに

わらうのん?

おらあさがしまに

おめえさんのその

わらすになったり

ねごのようになったり

おやずのようになったりするのんが

そのさまざまなわらいがおが

おもっつぇえがえ

だがら

おらあ

いっつも

おめえさんのかお

めえ

ひんむらがせで

見でんがえ

さあて、

行ぐべえが

天ど

波が

おらがどうを

待ってんが

わらすになる

おめさんを

おらあ

見ってえが

×××



掛げだがえ

絵馬こさ

ないしょで

まだす

干支のひとまわりしたら

そのまだ

ひとまわりしても

帰って来べえね

そもそもの

おめさんの

たましいの

はじまり

おらだぢの

ふしぎな

旅の

はじまり

「としょっても 白髪はえでも おらあ おめさんど こごさ けえってくっけん」



掛げだがえ

おらだづの

おわりの果てが

ねえようにって

×××

したらば

お加減よろしゅうと

おいとますんがえ

まだ

旅が

続ぐようにす

なあんにも

残さねえで

去んがえ

いづでも

故郷のようで

いでけでや

なんぼうんなっても

わらすになって

泣いだり

笑ったり

歌ったりしに

帰って来っけんにえ

おらだづの

爺様

おどっつぁん

どうかどうか

お健やかにや

嫉妬の原点 2007,5,16
まびさんから書き込みを貰って、まびさんとメールをやりとりして、気付いた。

わたしは、自分の未熟さを、認められないでいる。

すごく若い子と、おやじが付き合っても、全然嫉妬心が湧かない、わたしより年上の女性とおやじが付き合っても、嫉妬心が湧かない。

いつも、こころをかき乱されるのは、同世代の、女のひとばかり。

セックスうんぬんでは、ないんだよな。

おやじと、その女のひととの、会話に、わたしはものすごく、傷つく。

わたしがおやじに与えられない、気付きを、発展を、癒しを、相手の女のひとが、当たり前のように、すんなりと、おやじに与えることに、傷つく。

その場に、入れない自分に、己の未熟さが露呈されて、わたしはそれに、堪えられない。

おやじが他の女のひとに、こころを開いてする、そのやりとりに、わたしは、嫉妬する。

三十五歳、もっと大人であってもいいのに、わたしの根っこはひどく幼稚だ。

それを、思い知らされて、その現実に、堪え切れない。

気がついたら、努力すればいいのに、わたしはやっかんで、気持ちを暴発させる、その、悪循環。

素直に、学べばいいのに。

むかし、若かったころ、わたしはもっと謙虚だった。

おやじが付き合う女のひとは、みんなそれなりのひとで、「わたしで足りない面を、分散して補っているんだ」ということを、大事に考えていた。

「デートしてくるね」
「じゃあわたし、漫画描いてるね」

こういう、隠し事のない、ストレートなやりとりが出来ていて、わたしは相手の女のひとから、素直に、学ぼうとしていた。

憧れさえあって、「いつか、このひとたちのように、わたしも素敵な大人になりたい」と、素直に、思えた。

一時期を境に、わたしは謙虚さをなくし、おやじに対する甘えが増長して、そのまんま、とうが立ってしまった。

そういう自己嫌悪に、自分自身が、堪えられない。

社会性、世間のなかで学ぶ、身の引き方、知識、自分自身を保つスタンス、距離の取り方、そうして、明確な目標へ向けての、努力。

全部、わたしには、足りない。

おやじは、それを外に求める。

当たり前だと思う。

ならばわたしは努力すべきなのに、ただただ打ちひしがれて、その劣等感を醸造して、怒りに変えて爆発させる。

こんなすり替えを、これ以上続けたら、わたしはおやじという池須の中で、幼稚なまんま、終わってしまう。

おやじがわたしを諦め切ったら、わたしがおやじに与えるものがなくなったら、その焦燥感に、追いまくられて、ただの依存で終わってしまう。

そんなになったら、本当に惨めだ。

わたしは基本的に我侭だから、思い通りにならないと、癇癪を起こすから、それをいま、正さないと、本当に駄目な人間のまま、わたしは終わってしまう。

謙虚にならなくては。

わたしの出来ることを、すこしでも伸ばそう。

適材適所だと、等身大の、現時点の自分を認めて、おやじが外に求めることを、理解しよう。

劣等感から脱する気持ちを、持とう。

プライドだけ高くて、学ぶ努力をしないまま、ただ自分を卑下するのを、やめよう。

そういう気持ちの循環は、不純だ。

謙虚さと、思いやりは、大事だ。

自分の役割を、最大限こなすことは、大事だ。

自分が持ち得ない「となりの芝生」を、憎らしく思うことを、まず、やめよう。

わたしがおやじと出来ること、わたしがおやじに出来ること、せめてそれを、しっかりやろう。

自信を持てるようになるには、実行しているという、充足感を持つことだ。

もう、いい歳だ。

自分の輪郭を、しっかりさせよう。

ないものねだりは、やめよう。

おやじの女から、傷つけられるのは、逆に、無意識に、わたしも相手を傷つけているのだと、ちゃんと認識しよう。

尊重することを、学ぼう。

おやじに、常々言われる。

「自分に自信のあるひとは、嫉妬なんて無駄な感情に、時間を無駄につかったりしないもんだよ」

わきまえることを学ぼう。

傷つけられたと、一方的に被害者面するのは、もうやめよう。

知らず知らず、加害者である場合があるのだと、自覚しよう。

美学を持ちたい。

これ以上、醜くなりたくない。

無理をしない程度に、淡々と、地道に、「自分」をこなそう。

謙虚さと、誠実さを、意識して、持とう。

おなじ嫉妬をするのでも、発展的な嫉妬をしよう。

自分を伸ばす、刺激に変えよう。

こんなに駄目でも、まだおやじは、わたしを見捨てないでくれている。

わたしを諦めないでいてくれる。

妥協では、ないのだよ、と、まびさんに言われた。

本当に大事なら、努力をしよう。

人前に出て、恥ずかしくない、自分を持とう。

恥ずかしいのは、いま自分が、努力を怠っているのだということを、すり替えずに、自覚しよう。

ひとの魅力を認めて、やっかむのを、やめよう。

正直に、生きよう。

ゆっくりでいいから、 2007,5,14
ゆっくりでいいから、今日が、明日への、一歩になりますように。

すこし、ほんのすこしでいいから、今日よりひとつでも、発見がありますように。

いろんな条件のなかで、いろんなひとの理解のなかで、いまを過ごさせてもらえているんだなあと、骨身に沁みたここ数日間でした。

過ぎたことを蒸し返して、おやじと大喧嘩しちゃったけれども、おやじが「はいはい」と、いなしてくれたから、その後があるんだよな、そのあとのいい時間につなげてくれて、ありがとう、と、反省しました。

わたしは毎回、喧嘩のたびに、この上ない大事件のように猛烈に感情を高ぶらせて、怒る。

責任の取れる範疇を越えて、言葉を畳掛けて、それを、垂れ流す。

やめたいなあ、もう。

やめよう。

いま、という時間は、貴重だね、大勢のひとにまみれたあとは、とくにそう思うよ。

おやじに、いい時間をもらったあとには、とくに思うよ。

喧嘩した、荒れた気持が切り替わる瞬間、これはわたしのちからじゃない、ひとのちからだ、救われた、そう思うよ。

ありがたいなあ、と、思う。

わたしは、その、瞬間、瞬間、どんな表情をしているだろう。

その、とき、ときに、どれだけ「いい気持」を、ひとに渡せているだろう。

いつも、みんなと緊縛を楽しんで、みんなが、充実に、向かうとき、一期一会だなあと、思う。

おなじ縄がないように、今日、こうして触れ合うことは、明日は、できない。

明日は、また、あたらしくなるけれども、今日を引き継いでゆく。

「いま」という時間を大事にするのは、必要なんだよと、おやじにいつも言われるけれども、わたしはまだまだ、刹那的だなあ。

「おんなじように、時間というものが、いま、そのときにしか、流れないのなら、嫌な気持で過ごすのは、馬鹿のすることだ」

おやじに、毎日毎日、言われる。

気持をまわりに向ける努力を、ほんのすこしでも意識したら、こんなに後ろめたい苦い気持ちを残さずに、明日を迎えられるのにな。

それは、「我慢」とは、違うものなんだよな。

おやじみたいに、なれないかなあ。

悪意や、ひがみや、怒りから、もう一歩、そとに出られたら、いいなあ。

わたしは、感情が激しいから、どうしても、ひとを巻き込む。

狭いなあ、もっともっと、穏やかに、いたいなあ。

この、ねじれた回路を、もう少しでいいから、素直なものに、なおしてゆきたい。

狭くならないで、こころをゆったりさせたい。

余裕を持つ方法を、いい加減、覚えたい。

嫌なことを、嫌な時間として過ごしてしまうのは、自分にも責任があるっていうのは、分かっているんだよなあ。

「悔しい」という気持ちは、自分で作ってしまうんだよなあ。

流すということを、学びたいなあ。

不要な我慢をするから、嫌なものが、溜まるんだよなあ。

わたしは、捕われすぎるなあ。

「傷つく」という気持ちのなりゆきは、自分の在り方で逃れられる、そこまで分かっているのに、わたしは自分から、火の中に、飛び込む。

もっとこう、清々しく、いたいよ。

「時間の大事さに気付きなさいよ、おばあさんになってから、ああもったいないと思うのは、嫌でしょう?」

学ばせてくれるひとは、こんなにたくさん周りにいるのに、わたしはいつも、「みんなすごいなあ」と見上げるばかりで、自覚が足りない。

いまを、大事にできないで、明日を、大事にできるわけがない。

こころを、もっと、たくさん使おう。

ひとと、満たしあうことができるように、努力しよう。

楽しい気持ちを壊すまえに、すこしでいいから、冷静になろう。

大事に、大事に、生きよう。

眠って、目が覚めたら、ゆっくりでいいから、おやじに近づいていますように。

危険な流れになってきたので、レスはこちらに書きます。 2007,5,11
卯月妙子の日記

前の日記
2007年05月11日
05:45 危険な流れになって来たので、レスはこちらに書きました。
どうコメントを返そうか、ずっと考えていましたが、なんだか危険な流れになってきたので、わたしの考えを書きます。

「メンヘルが嫌いだ」と書いたのは、その「傾向」に、「病気であることを、なにかの特権意識のように感じる、言動があること」、「病気を理由に、努力を怠る傾向、自己完結させる傾向」があるなあと、わたし自身が、感じていて、「誰にでもあるのだろうけれども、わたしの中にもかなりあるなあ」と、思ったので、「常に自戒の意味を込めて見ている」という、ことです。

これは、誰にでも、当てはまることだと思います。

「病気が、軽い、重い」は、関係ないと、思います。

確かに、「病気が重いひと」は、「軽いひと、健常者」を、見ると、正直言って、猛烈に腹が立つと思います。

だけども、「重いひと」も、わたしが挙げた「メンヘラ」の「傾向」に、自分がどこか当てはまりませんか?

大事なのは、「他のひとへ対する、”想像力”」です。

これをなくしては、わたしたち、「精神病」の人間も、わたしたちが、どうしても区別して、やっかみたくなる、そうして、わたしたちを傷つけることを平気で言う、「健常者」と、変わりがないと、思いませんか?

わたしたちは、自分を知らしめて、自分を理解してもらいたい、自分を守りたい、そういう意識を、とても強く、持っていると思います。

わたしたちが「病気」を主張する理由は、そこにあるのではないでしいょうか。

だから、わたしは、「キチガイ」と「メンヘラ」を、分けて、書きました。

ここに書き込みをされた方は、みんな「病識」がありますね。

生活のウチ、半分の時間は、とくに、症状が悪化しているとき、薬を飲まない状態は、「キチガイ」に、該当すると、自覚のあるひとも、いるでしょう。

「キチガイ」は、自己を把握する能力に欠けていますね、自分がその状態になったときに、嫌というほど、それを感じて、「少なからず、絶望するときも、ある」そういう経験が、みなさんにも、あるでしょう。

ですがそれは、「メンヘラ」にも、共通してある感覚です。

「自分がなんだか分からない、社会生活が送れない、自分はやはりどこかおかしい、そうして、生きていて、苦しい、周りの理解が得られない、どうしていいか分からない」

病名があれば、そこで納得して、ひとまず自分のスタンスが取れますが、実際、精神科へ来る人は、「病名すら付けられず、”何だか分からない”という、漠然とした不安の中に、あると思います。

「分からないことと闘うこと」は、しんどいです。

ですが、わたしたちは、「分からない、自分を自分でどうにも出来ない」という、苦しみは、共通して、持っていると思います。

だからせめて、その恐怖、不安が分かるだけでも、「健常者」よりは、「精神を病んでいるひと」への、理解と想像力を、持つことは、出来ると思うのです。

こうして、こころを書き表すことが出来るわたしたちは、わたしの定義した「キチガイ」から見れば、「メンヘラ」という「軽度」な立場になるでしょう。

「苦しみがある分、わたしたちは、想像する、能力、努力、思いやり」は、持ってもいいと、思います。

「言葉で伝える能力」があるということは、「キチガイ」ではない「瞬間」を、「持てる」ということです。

「キチガイ」と「メンヘラ」の「狭間」にいて、社会へ訴えたいことは、たくさんありますよね。

確実なのは、「メンヘラ」も「キチガイ」も、苦しんでいるという、「事実」です。

自我がバラバラに崩壊してしまう恐怖を、持って暮らしていることは、共通していると、思います。

だからこそ、「自分への、冷静な目」と、「他者に対する想像力」は、常にもつことが必要だと、思っています。

「自分だけが苦しい」というのは、間違っています。

「みんな苦しい」

「健常者」というのは、「精神病予備軍」です。

いつなんどき、バランスを崩して、わたしたちが感じている「恐怖」のなかに、堕ちて行ってしまう可能性は、孕んでいます。

わたしたちは、それを忘れるべきではないと思います。

「精神の病」は、ひとそれぞれ、千差万別です。

自分のことで、正直、精一杯ですよね。

でもそれを、「他人の病状と比較して、「わたしは重症だ、軽度の患者は、「甘えている」と、分けて批判することは、哀しいことだと思います。

少なくとも、わたしたちは、こうして「病識」を持ち、社会のなかにいられるだけでも、「キチガイ」からすれば、「軽度のメンヘラ」と、変わりがないと思います。

「メンヘラ」に対する「怒り」は、わたしにも、あります。

「そこに甘んじて、脱しよう」という意思が、欠如していることに、正直、腹が立ちます。

これはこれで、十分な「障害」で、こういった「自己完結」は、「切羽詰まっている、いわゆる重度の患者」からしたら、腹がたちますね。

わたしは、「精神の病気」に、ずっとアプローチをし続けてきました。

「病気」である以上、「常に不安と闘わなくてはならない」、「症状と、闘わなくては、生きてゆけない」、「自分の理解しがたい現状」を、「理解されたい、助けて欲しい、努力を認められたい、こういった苦しみを、怒りのように感じて、発信したい」

だからわたしたちは、「言葉」にし、「実行」し、訴え続けるのだと、思います。

哀しいかな、「キチガイ」に、その能力は、欠如しています。

「キチガイ」を抱えてて暮らさなくてはならない、「周囲の人間、身内」は、「何が何だか理解できなくて、苦しいだろうと、思います」

わたしが、この問題を、繰り返し繰り返し書くのは、「病気から自立したいから」「理解し難いと思われている、自分の異常さを、知ってもらって、少しでも、想像して欲しいからです」

とても面倒くさいことですが、「想像力」を、持ちたい、持ちましょうよ。

好くなくとも、わたしたちは、言葉にできるという、智恵があります。

智恵は、多くのひとへ向けて、「理解」を求める大事な手段です。

わたしたちには、「苦しみを理解しようとする、能力が、あります。

そうして、「病気に負けない、いつか治ってやる」という、苦しい信念は、持っていますよね。

もしくは、「なんとか折り合いをつけたい」と、真剣に思っていますよね。

病気の程度で差別するのは、良くないことだと思います。

何度も書きますが、わたしたちに必要なことは、健常者に必要なのは、「想像力」だと思います。

そうして、なにより、「思いやり」だと思います。

わたしたちは、世間に向けて「努力している」と、アピールしたくなることが、たくさんありますね。

そこには、思いやりが必要です。

自己正当化しない、フラットな視線が、必要ですよね。

それが、わたしたちが努力すべき、問題意識だと、思っています。

こころの棘 2007,5,10
とにもかくにも、わたしは「メンヘラ」と呼ばれる人種がダイッ嫌いだ。

同族嫌悪だ。

わたしの性格の中には、「メンヘラ」と呼ばれる人々に見られる思考回路が、厳然と存在する。

その特性を挙げてみよう。

「病気を治したいと言うわりに、自助努力をしない」

「だらしがない、怠惰である」

「自分は悪くない、全て周りのひとのせい」

「自分に対する批判には過敏で脆いが、他人への批判だけは痛烈にする」

「自分が病気になったのは、ひとのせい(主に、親、いじめ)」

「病気は自分のアイデンティティー」

「自己正当化しか頭にない」

「病気自慢を始めると止まらない(リストカット、自殺未遂の回数、過食嘔吐の詳しいやり方など)」

「努力をしないことを指摘すると、すぐに病気だからと言い訳をする」

「プライドが高く、自分への批判を許せない」

「価値観が狭い」

「排他的である」

わたしは自戒の意味も込めて、繰り返し繰り返し、しつこく、自分の病気について書き、コメントを求め、それに対して更に、粘着的なレスを返している。

だが、いつも、同じところで堂々巡りになる。

越えられないでいる。

自己正当化、問題のすり替えが始まる。

今回も、「自分の悪質な思考の循環」を露呈した段階で、挫折した。

悔しいが、ここから先は、専門的知識と、身近な人の客観的意見がどうしても必要だ。

書くときには、まず、おやじの意見を聞くことにしているが、実際にそれを自分の文章にすると、どうしても借り物になり、発展しないままに終わる。

「実録閉鎖病棟」という作品を、おやじと共著で進めているが、いま、停滞している。

おやじの客観的な意見に、わたし自身が耐えられなくなったことがひとつ。

それから、わたし自身が、「腑に落ちない」で、スタンスが取れなくなったことが原因だ。

「メンヘラ」と「キチガイ」という、呼び名は不適切かも知れないが、わたしはその境界に、自分がいると思っている。

そこに、「健常である思考」を持ったわたしの視点が、どうしても必要になる。

ニュートラルでなくては、対象を突き放せないのだ。

読者の多くは、軽度の精神障害者、いわゆる「メンヘラ」になるだろう。

「わたしはこころを病んでいるかも知れない」

そう感じている人々が、ターゲットになるだろう。

その一方で、「重度の精神障害者の、家族」が、もうひとつのターゲットだと、わたしは考えている。

わたしは、精神病院の、閉鎖病棟への入院歴しかない。

解放病棟の、「展望のある」、「ある程度社会性のある」患者を、知らない。

もちろん閉鎖病棟の中にも社会はある。

人間関係も、ハチャメチャではあるが、存在する。

わたしはとくにも、「急性期病棟」への入院回数が多く、慢性期病棟へは、一度しか入院経験がない。

とは言っても、それは、十年以上前の精神病院であり、地方の、あまり評判のよくない精神病院への入院経験である。

急性期も慢性期も区別がなく、劣悪な構造を持った時代の、そういったシステムを良しとした体制の病院での経験であるので、いま、現時点でこの問題を提起するのは、「歴史を語る」程度の影響力しか持たないだろう。

わたしが、わたしの言葉で「キチガイ」と区分する人々の特徴を挙げてみよう。

「現状を把握する能力がない」

「”治る”という状態を想像出来ない」

「殺人が罪であるという認識が持てない(わたしに殺されるお前が悪い)」

「自己を律するという能力が、まるでない」

「欲求、我侭を通すためなら、半身不随になろうが、死んでしまおうが、関係ない」

「人格が未成熟で、幼稚で、我侭」

「他の価値観を受け入れられない(理解できない)」

「自分の思考形態に疑問を持てず、客観視出来ない」

「絶望感が深く、意欲を持つ”能力”がない」

「常に不安であり、不安であることを解決する”能力”がない」

「自己制御という概念を持たない」

「衝動的で、想像力が欠如している」

もちろん、この状態にある人々でも、投薬によって改善する。

会話が出来るようになり、発作的な行動が軽減し、状態が良くなるにつれて、想像力を取り戻す。

これは、わたし自身がこうしてこの文章を書いていることで、十分立証できている。

退院後、一緒に退院した仲間と電話したり、飲んだり、お互いが徐々に社会性を取り戻してゆくのを報告しあったりしているという、「現実」がある。

「キチガイ」は、治る可能性を持っている。

しっかりとした投薬、時間、周囲のフォロー、規則正しい睡眠と生活サイクル、それらが整ってさえいれば、ある程度回復できる。

正直、「健常者に戻る」という例は、わたしの拙い経験上、まだ、知らない。

ただ、彼らは過剰にストレスに弱い。

そのストレス要因は、健常者が想像しがたいものであることが、多い気がする。

わたしは臨床医ではないから、経験はもちろん足りないが、友人として彼らと関わってきて、得て来た知識はある。

入院時の人間関係で、それは役に立っている。

重度の患者を持つ家族から相談を受けることもたまにあるが、わたしの意見がその家族の理解の範疇を越えていて、しかし適切であった例も、少なからずある(ただし、わたしはこの危険性は、十分理解している)。

「逸脱した思考形態」

「理解し難い行為の原因」

それは、本当に些細なことであったりするのだ。

退院間近のひとが、プレゼントに「星の王子様」の絵本を貰ったことで、急激に悪化し、取り返しがつかないところまで行ってしまった例がある。

プレゼントした患者には、悪意がない。

彼女は自分が「就職相談所の相談員」であると、思い込んでいた(妄想であるが)。

しかし、その退院間近だった男性は、「傷ついた」のだ。

彼は、結局、慢性期病棟へ行ってしまった。

あれほど回復していたにも関わらず、である。

これは、恐らく、医師には理解できないだろうし、彼は医師にそれを告白することは、ないだろう。

こういったことは、実に多い。

週にたった一回、「妹が面会に来てくれるから」、それが支えで、一生懸命闘病しているひともいた。

彼は、東大の理工学部在籍中に、統合失調症を発症したそうだ。

正義感が強く、わたしは彼に何度も助けられた。

しかし、彼は、「他人から、自分の心臓に向かって、ビームを打たれる」のである。

普段、わたしのいいお兄さんであった彼に、わたしは殺されかけたことがある。

朝の体操中に、わたしが彼に、「ビームを撃ってしまった」のだ。

まわりのみんなが、「彼女はビームを撃っていない」と、色々な理由をつけてかばってくれた。

人垣をつくり、彼を押さえつけてくれた。

看護婦も看護士も、誰も気付いていなかったし、こちらを見もしなかった。

閉鎖病棟の中は、こんなことが日常茶飯事である。

もちろん、わたし自身も、暴れるたびに周りから押さえつけられ、「看護婦にバレたらデンパチ(電気ショック)だぞ!!」と、かばってもらった経験など、たくさんある。

本来なら、保護室で全拘束であっただろう事件を、みんなに助けられ、まぬがれた経験は少なくない。

患者にとっての「こころの支え」は、おしゃれであったり、週に一度の買い物であったり、多くは身内の面会であったが、中には「今日は、南京大虐殺はないからね」と、みんなに言ってもらうことだったりと、様々だ。

ただこの、「こころの支え」が、患者にとってどれだけおおきなものなのか、健常者には、想像がつかないだろう。

本当に,本当に些細な「ひとこと」であったりするのだ。

漫画に描きたいことまで書いてしまったが、わたしはこの、「健常者には想像のつかないであろう、些細な救い」を、列挙して、少しでも理解を求めたい。

症状が出たときの「説明の出来ない状態」を描いて、少しでも健常者の想像力を、喚起したい。

健常者、彼らの基盤にしている「常識」が、一部の人間にとってどれだけ困難な「障害物」であり、「理解しがたいもの」であるか。

精神障害者(わたしを含む)から見たら「健常者がどれほど脅威を持っていて(自己を疑わないという自信に基づく行動など特に)、逆に異常に感じられるか、理解し難いか」を、描いてゆきたい。

なんだか、白熱してしまって、収拾がつかない文章になってしまったが、そんなわけで、わたしはしつこく、今後も日記を書いていこう。

で、昨日、わたしが「これは非常識で、ひとを傷つけるかも知れない」と思って削除しようと思った理由になった、ひとこと。

「精神の闇」

こんなに面白いものはない。

自分を見ていてそう思う。

「何故、あんな奇天烈な行為を繰り返すのか」

「何故、あんな奇天烈な思考回路に陥るのか」

理由は単純だが、そこに至る経緯は、膨大な物語である。

そうしてそれは、自分自身にも理解出来ないことも、少なからずある。

「こころの棘」は、本当は、ほんの些細なことだったりするのだ。

そうして、そういった些細な理由で、ひとが殺されたり、狂ったり、自殺したり、するのだ。

忘れてはならないのは、「その些細な理由が、当事者にとっては、膨大な物語であり、決定的ななにか」であるかも知れない、という、「想像力」である。

【加筆】『疾病への逃避』病名という免罪符 2007,5,9
一番最初に統合失調症と診断されたのは、七年前、自衛隊中央病院であった。

「子宮が腐っているから、取り出さなくてはならない」という妄想に駆られて、おやじに連れられて、三宿病院の婦人科へ行った。

当然、子宮にはなんの問題もなく、おやじだけ診察室に呼ばれ、すぐに真向かいにある、自衛隊中央病院の精神科へ回された。

そこで、「統合失調症」と言われ、リスパダールを処方されたが、なんのことだか理解できなかった。

二回目の通院で、自分が出版した漫画を持って行った。

わたしは当時、一日中泣いてばかりで、まともにひとと喋ることが出来なかったので、漫画を読んでもらって、説明に代えたかった。

「あなたが漫画家だというのは、それも妄想なのですよ」

カウンセラーに断言され、怒りがこみ上げ、このひとを殺そうと、いや、「殺さねばならなくなった」。

以後、わたしは鞄の中に金槌を入れ、それがなければ外出ができなくなった。

リスパダールはもちろん効いた。

半年ぶりくらいに、雨戸を開けた。

やる気にも満ちた。

しかし、強烈な副作用に負けた。

副作用止めの、アキネトンを、処方されなかったからだ。

わたしは服薬をやめ、また、泣いてばかりの状態に、逆戻りした。

その二年後、措置入院先の昭和大付属烏山病院で、統合失調症と診断され、説明を受けた。

二十五歳の頃の、最初の入院先であった、岩手清和病院での「境界例」という診断を、ひっくり返された。

ショックだった。

人生が終わったように感じた。

ショックのあまり、三ヶ月間、生理が止まってしまった。

だが、いま、わたしは今度は、「統合失調症」という病気に、しがみついている。

東京女子医大精神科で、統合失調症ではないと診断され、愕然とし、そこの受診をやめて、今の病院へ変わった。

女子医大を紹介してくださった薬剤師の方(このかたは、統合失調症の研究をしている)にも、「統合失調症よりは、妄想性人格障害に近いのではないか」と、しばらく前の日記にコメントを貰った。

その方は、今回の件で、メールでも、説明をして下さった。

わたしは一方的に、「見放された」と感じていたが、反面、自分でも、疑い始めた。

あれから色々と、調べた。

そうして、松沢病院で臨床医をやっていた、岩波明という医師が書いた、「狂気の隣人」「狂気の偽装」という二冊の本に、おやじが行き当たり、ふたりして、読んだ。

症状は、統合失調症そのものだが、明らかにわたしは、「統合失調症ではない」のではないか?

昨日の日記にも書いた通り、わたしの病気は、周期的だ。

慢性的で進行するという事実が、起こっていない。

むしろ、リハビリによって、ここまで復活したし、やる気もある。

感情鈍魔も、陰性症状である、無為自閉も見られない。

仕事は相変わらず出来ていないが、運動神経はもう、完璧に復活した。

統合失調症である確定事項は、「MRIを撮った際の、全体的な脳の萎縮」である。

東京女子医大に入院中、わたしはMRIの検査を断った。

理由は、「刺青が低温火傷してしまうから」であった。

しかしいま、わたしはMRIの検査を、受けてみようかと思っている。

おそらく、脳の萎縮は見られないだろう。

ただ、そのとき、わたしは「統合失調症という一種のアイデンティティー」を失い、パニックを起こすだろう。

わたしの病気は、恐らく、妄想型の非定型精神病というヤツと、過度のヒステリーだ。

これは、脳の問題も多少はあるだろうが、「性格に起因する症状」に、ほぼ間違いはない。

ここに挙げた二冊を、「自分がこころを病んでいる」と思っている方々に、ご一読、お勧めしたい。

×××

一番の問題は、「病名が何であれ、確実に起こるこの症状をどうするか」だ。

だが、その症状を作り出しているのが、「自分自身の性格」だったら、どうだろう。

いま、リスパダールと、何種類かの抗癲癇剤を飲んで、それが効いている。

とくにも、リスパダールの効果は、歴然として、ある。

しかし、それが治療ではなく、対処療法だとしたら?

わたしは、症状を産み出す、自分の性格と対峙すべきなのではないのか?

わたしは、自己顕示欲が恐ろしく強い。

目立ちたがり屋で、自己中心的だ。

何でも自分の思い通りにならなくては気が済まない。

承認欲求が強く、寂しがりやだ。

その癖、コミュニケーションを取るのが下手糞で、いつも人間関係で失敗している。

自分を正当化し続ける一方で、そんな自分が恥ずかしいという、後ろめたさから、逃れられない。

わたしは常に目立ちたいが、常に、恥ずかしい。

暴力的な衝動も、追跡妄想も、ここから来ているのではなかろうか。

舞台の本番一時間前まで死のうとして暴れていて、舞台に上がった瞬間に別人のように冷静になる、こんなことが、統合失調症の患者に、有り得る訳がない。

精神病院を退院したその晩名古屋までゆき、その日の夜にほぼ完璧なショウを、統合失調症の患者に、やれるのか?

99%、無理だ。

だが、わたしは、やれた。

統合失調症の患者は、重いひとから本当に軽いひとまで、様々、この六回に渡る精神科への入院で、飽きるほど見て来た。

わたしのようなこの異様な集中力を、統合失調症の患者が、果たして持ち得るだろうか。

では、小学五年生から続く、幻聴、幻視、妄想は、一体何んだろう。

声に命令され、性的な行為、しかもかなり逸脱した行為を、ずっと続けて来た。

小学五年生にも関わらず、SM的な行為や自傷行為、スカトロという、自慰を繰り返したことである。

声は、たんなる恐怖ではなく、わたしのパートナーだった。

「お前の人生が失敗だらけなのは、お前についてきた背後霊を、お前が成仏させなくてはならないからだ。みんな、失敗の理由が分かっていない。だから、お前を通して、再現する。そうして、ああ、やはり、失敗するのかと納得して、成仏する。その媒体であるお前は、お地蔵様なんだ」

「多くの霊体は、いま見えているように、悲惨なものばかりだ。血だらけで、腐敗して、ぐちゃぐちゃだ。だけれども、それを恐ろしがるな。それは、彼らにとって、失礼な行為だ。いま、どんな有様だろうが、みんな生きていたときには、区別なく”人間”だったんだ」

一番多く言われ、一番印象的で、わたしの人生を左右してきた、「声」の名言である。

わたしは使命感に燃え、小学五年生からずっと、毎朝読経し、写経し、暇さえあれば無縁仏にお供えにゆき、墓掃除をし、車にひかれて死んだ犬や猫の死体を川まで運んで捨てていた。

それらが一種の快楽でもあったことは、否定しない。

ものすごいカタルシスを得られた。

わたしには、「霊魂」と言い換えることの出来る幻聴、幻視が、頻繁に起こる。

動物と、会話も出来る。

それがなくなったのは、リスパダールを服用し始めてからだ。

声が、霊魂であったのか、病気であったのかは、判別しようがない。

わたしは大変おっとりした大人しい子どもだったが、暴力衝動はあり、実際にひとに対して過剰な暴力を振るったことも少なからずある。

保育園から中学生まで、ひとに馴染めず、しかし穏やかで、虐められても常にニコニコしていた。

わたしを虐めたひとたちが、それぞれ単独でわたしを訪ねて来て、愚痴や相談をしてゆくことが、頻繁にあった。

わたしは空想の世界と、現実の世界の線引きが出来ておらず、それが出来るようになったのは、高校生からである。

高校生になって初めて、自我に目覚めたと言っても良い。

人間的に、成熟するのが、ひとよりかなり遅かった。

一般的に見れば、売春や自傷行為など、逸脱していたが、自分の人生に対して生真面目なのは、今でも変わらない。

そうして五年前から、リスパダールを処方されるようになって、わたしはまた、子どもの頃のように、無邪気で、大人しく、穏やかな側面を、取り戻しつつある。

以前わたしが2ちゃんねるで暴れていたときのことをご存知な方も多くおられるだろうが、あの頃のような、「人格の荒廃」が、今はない。

旦那さんが死んでしまってからの、あの急速な症状の悪化、昭和大付属烏山病院に措置入院するまでの、荒み方は、半端ではなかった。

常規を逸していた。

統合失調症ではないのなら、あの五年間の凄まじい狂いっぷりは、一体なんなのだろう。

ある特定の人物に、パソコンにウイルスを送られたと、実際に、弁護士を雇い、裁判を起こそうとしたこともある。

ひとの頭にボールペンを刺して、強制退院させられたり、「眼鏡を掛けていた」という理由でひとを殴り、慰謝料を払うはめになったり、2ちゃんねるで露悪的に暴れ、四六時中不安定で自己を保てず、常に攻撃的で、被害妄想に苛まれ、何度も自殺未遂をした。

妄想に駆られて、二ヶ月も山の中のお堂にひとりで籠り、墓石の主と会話し、戦時中に魂だけタイムスリップし、「昆」という漢字に取り憑かれ、図書館で調べ続け、いくつもの神社やお堂を訪ね歩いてお堂の向きを磁石で計り、それを記録し続けたこともあった。

猫に盗聴器がついていて、雨戸を開けられず、テレビを消してもテレビからわたしを裁く声が聞こえ、電話の音に過敏になり、椅子の上にしゃがみ込んで、水をかけたご飯しか食べられない時期もあった。

あれらは、なんだったのだろう。

シャブにハマったのは、二十六歳から二十七歳の一年間だ。

シャブの後遺症となると、今度は、小学五年生からの行為、旦那さんと結婚していた頃の症状の説明が、つかなくなる。

旦那さんと、「旦那さんを入院させる病院」を探して、あちこち訪ね歩いた。

その度にかならず、わたしが患者と間違えられた。

旦那さんいわく、「お前は一見して病人だ、お前を残しては死ねない、心中しよう」ということだった。

逸脱行為は、もう、ずっと、あったのだ。

「疾病への逃避」と題して、結論を導き出そうと思ってこの日記を書き始めたが、行き詰まってしまった。

とりあえずこれを、次の診察で、主治医に見せよう。

「変わり者」と、ひとくちに言ってしまえばそれまでだが、わたしは周囲に迷惑をかける。

いま、こうして調子がいいが、二十日以降は、かならず妄想に取り込まれ、苦しむ。

恐ろしくて、リスパダールが手放せない。

×××

東京女子医大に入院時、「この点滴には、薬は入っていません」と、担当医に、何度も言われた。

事実なのか、わたしの反応を期待して、実は薬が入っていたのかは、わからない。

担当医は、わたしが統合失調症なのかどうかを、判別することに、躍起になっていた。

「鬱状態になることはありますか?あれば統合失調症、なければ月経前なんたら症候群です」

わたしは、「鬱」と診断されたこともなければ、自分が鬱病だとも思っていなかったので、「ありません」と答えた。

大学を卒業したての、ほぼ研修医なみの、若いその女医は、そのわたしのひと言で、「統合失調症としての治療」を打ち切った。

主治医もそれに賛同した。

正直、恐ろしいと思った。

そのときの処方は、以下のものだ。

テグレトール200ミリ
ロヒプノール1ミリ
ヒルナミン25ミリ
レンドルミン0.25ミリ

退院後、恐ろしいほど調子を崩した。

しかし、主治医は、

「退院できるほど、調子が良かった、それが事実です。退院後、調子を崩したのは、ショウをやった刺激です。すべてやめて、刺激のない生活を送りなさい。そこからしか、治療は始められません」

そう言った。

わたしがしつこく、「統合失調症」「精神障害者」と騒ぐのは、同じ立場のひとたちを鼓舞したい、漫画のスタンスも、そうありたいと、思ったからだ。

だが、次第にわたしは、「統合失調症という免罪符」を得た状態になってしまった。

良くないことだ。

この妙な立場から、脱却したい。

そのためには、真相を明らかにしたい。

「病識を正しく持つ」ということを、実行したい。

正せる部分は、積極的に、正したい。

そうして、「確実な治療」を、受けたいと、思う。

【追記】
女子医大での全拘束時、「点滴には薬が入っていません」と担当医が言ったが、実は薬が入っていたという、証拠。

忘れていたけれど、日記にしておいてよかった。

×××
2007年04月16日
01:18 みっかめ というか、 まとめというか。

午前中に名古屋城!!

観光客も、混雑していなくて、和やか。
建築家は、すごい。

子供が乗る、記念撮影用のしゃちほこ。

おやじ「乗れよ」
わたし「乗るのかよ」
おやじ「お前、もしかして、乗れないの〜」

乗ったとも!
しかも、満面の笑みで。

周囲に群がる観光客の視線は、一瞬凍り、沈黙が…。

そのあとのどよめきに、充実感を感じ、悠々と降りてやりましたとも。

ふふん。

乗ってやったよ。

稲中ファンをなめんな。

×××

その後、駅にゆき、切符を買って「うなぎの三段階に分けて食べるやつ」を食べました。

旨かった!!!!!

新幹線のなかで寝るつもりが、薬が変わって興奮が収まらず、全然駄目。

その前の晩は、二時間しか眠れていない。

入院中の担当医が、「統合失調症ではなく、月経前なんたら不全症候群かも」と、薬を百八十度変えたのです。

ヒルナミンの一番ちっこい錠剤で落ち着くはずもなく、結局二錠も三錠も、おまけにリボトリールも飲んでいるけれど、ダメ。

入院中は、「敷地内禁煙のせいで、こんなにイライラするんだ」と、ずっと我慢してきたのですが…。

往来を、万歳して大声で叫びながら疾走したい衝動と闘いつつ、なんとか渋谷へ。

『全拘束』は、血栓が出来たりじゅくそうが出来たりするくらい 
非人道的だけれども止む終えない措置で、これのお陰で身体中が痛くてたまらなかったんですよ。

横ちゃん(担当医。卒業したてのまだまだ可愛子ちゃん)は、教科書どうりにしか病気を判断出来ず、おやじの連載をコピ−して切り貼りし、そこに更に所見を書き込み、あらすじまでまとめた分厚い資料を持ってわたしと面談し、さらにわけが分からなくなり、かなりパニックになった模様。

本来の「月経前なんたら症候群」なら、一番軽いヒルナミンでいいはず。

でも、これまでの経過は、怖い。

慌てて、行動を抑制する為にテグレトールを600ミリ追加したけれど、効かない。

効かないんだなあ。

五年前、世田谷警察署に飛び込んで、受け付けに向かって手首をざっくりやったときと、症状は同じ。

周囲の光景が、白く輝いて目に飛び込んでくる。

じっとしていられない。

焦燥感、訳の分からない恐怖感。

「自分がなにをするか分からない」

×××

渋谷に着いて、みんなでマッサージ80分コースへ。

「失礼ですが、交通事故にでも遇われたんですか?」

わたしのバッキバキの身体をほぐしながら、お姉さんが…。

まさか、

「精神病院でベットに縛り付けられてました。

セレネースという、抗精神病薬の点滴を受けていたのですが、アキネトンという副作用止めを入れなかったために、全身の筋肉が収縮し、硬直し、血管が締め付けられて死ぬ思いを何度も味わったんですよ。

なかなかこの副作用は出ないそうで、医者もびっくりしていました。

わたしは保護室にほっぽっておかれて、次に看護婦が巡回に来るまでのなが〜い間、骨がきしんで顎がずれて、歯ぎしりが止まらず、足の筋が吊って、しかも、お尻の二点しかベットに着かないほど身体が硬直して持ち上がり、頭が頭蓋骨の周りの筋肉に締め付けられて、このまま脳梗塞で死ぬんだなと、痛みと格闘しておりましたから、身体中、打ち身のようになったのでしょうね」

なーんて、言えませんでしたよ。
あ。
このささやかな日記、火曜日の診察の日、横ちゃんにプリントアウトしてってあげようっと。

マッサージ屋を二軒梯子して、それでもぶっ倒れそうで、結局歩けなくなってタクシーで帰宅するという、まあ、いいや!今日はお大名する、贅沢の日!!!

しかし、ご飯が美味しくて美味しくて、死ぬほど食べた!

で、いま、お灸やったり湿布貼ったり、ようやく落ち着いて、睡眠薬が効くのをまちながら、旅の思い出をつらつらと。

あーーーー!!!!

楽しかったヽ(´∀`)ノ

なにより、わたしはショウが出来て、身体も嘘みたいに動いて、終わってからげー吐いちゃったけど、そのあともすごく楽しくて楽しくて、涙が出るほど嬉しかった。

そうそう。

伊藤舞さんもショウでいらしてて。

圧倒されました。

すげえ。

またひとつ、勉強できた。

精進。
×××
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2007年05月08日
01:46
みかりん
ずいぶんと冷静になれたようですね。
卯月さんが何かしらあるときは必ずきっかけがあるように見ていました。
こないだの転院もホントは少しがっかりしたのです。
もっともっとセンセと対峙すれば、センセのほうへも伝わりいい関係を築く基礎になるのでは、と思ったからです。

病名がなんであれ、お薬は症状を抑えるもの、補助と思います。あとは自分がこういう考える、こう行動してしまうクセがあるなあってこと、振り返るといいかと。周りからいつもこうだなあって言ってもらってもいいのかもしれないですね。

それだけでも危険や周囲にたいして心配かけることがちょっと少なくなり、卯月さんの自責も少なくなるような気がします。
2007年05月08日
02:07
かや
病気のことは、よくわかりませんが・・・思ったことを一言。

世の中には、はっきりさせないといけない場合と、
曖昧にしておいてもいい場合があると思います。

でも目の前にある現象は、
決して他者と同じものはあり得ないと私は思っています。
だけど、何とかその現象の共通点や相違点を手繰り寄せ、
自分や周囲を納得させるために「科学」「常識」があると思います。

私も程度の差こそあれ、卯月さんのような幻聴や幻視などもあります。
いわゆる勘が鋭いというのかもしれません。
それを霊感だ、霊障だと結論付ける人がいます。
それを病気だ、という人もいます。
原因をつきとめる過程で、周囲や本人が納得さえすれば、
それが原因だと結論づけられることが往々にあると思います。
特に精神的な問題だと、
どうしても自分の感覚とそれを表現する手段に依ってしまいます。
だから、私は敢えて他人には言わないことにしました。
だから、私は敢えてその現象を無視することにしました。
それらの現象は実は当たり前のことで、
敢えて口にするものじゃないと思うようになりました。

もしその現象を全く失くしたいと思うのなら、
本当に大変だと思いますが、
焦らずゆっくりと薬と上手に付き合いながら、
多くの専門家と話し合ったほうがいいと思います。

ただ卯月さんも書いているとおり
それが特殊な状態だと思い込むこと、
ある種の特権意識を持つことは危険だと思います。

みんな特別であり、程度の差こそあれ、みんな同じようなものだ・・・

うまく言えないのですが、
できればその曖昧さをも受け入れる容量が必要な気がします。
とにかく無理はなさらないでくださいね。
2007年05月08日
03:22
卯月妙子
みかりんさん
いいえ、これは、冷静になっているのではないのです。
2ちゃんねるのときと、ほぼ同じです。
対象が自分に向いて、自分を限界まで晒さなくてはいけないという状態が始まったのです。
書いたものを読むことと、実際に当事者でなくては分からない、細かい事実では、判断が違いますよね。

今度は、その「違い」に対する怒りが始まろうとしています。

こうして親切に書き込んでくださるコメントが、すべて「悪意」にすり替わってしまうのです。

以前にも、かやさん、おやじと、ずっと書き込みをしながら話し合いましたが、これがわたしの「病理」です。

「神が降臨」し始めました。
わたしは、裁かれながら、その裁きによって傷つき、復讐を試みるでしょう。

ですが、日記に書いた内容も、わたしの正直な気持ではあるのです。

わたしは、いま、自分の正義感を満足させようとしています。
しかしそれは裏目に出て、そのギャップに耐えられません。

無意識の狂言と言われてしまえばそれまでですが、日記も、このコメントも、わたしにとっては真実です。

父が病気をしたことを、昨夜知りました。

わたしは「病人」をやっている場合ではない、そういう焦燥感が酷いです。

かやさん
いつも、的確な言葉を、有り難うございます。
みかりんさんへのコメントにも書いたのですが、また始まってしまいました。

今回違うのは、リスパダール内服液が、思った以上に効いていて、A地点からZ地点へ飛ぶ、それが緩和されているところです。

わたしの「幻聴、幻視、妄想」あるいは「霊によるなにか」は、日常生活が成り立たないところまで、影響します。

ほとんど、「支配」されてしまうのです。

時、所を選びません。

日常生活の傍らに、アクセントとして起こることではなく、わたしはそこに埋没してしまいます。

仕事も生活も忘れ、没頭してしまいます。

わたしはいま、生活保護が受けられず、かろうじて、両親に援助されて生活しています。

夕べ知った、父の病気によって、いまこうして過剰になっているのだろうと思います。

「早く治りたい、症状が怖い」その危機感が強いです。

>できればその曖昧さをも受け入れる容量が必要な気がします。

これが出来たら、そのときはもう、病気ではないのでしょう。

この日記、そこにつくコメントとわたしのレスを、プリントアウトして、主治医に持ってゆきます。

ここがわたしの一番の病理だからです。

この日記を書いて、わたしは根っこの部分で、東京女子医大の治療に対して、猛烈に傷つけられたのだということに、気付きました。

その感情に飲まれないように、気をつけます。
2007年05月08日
10:44
Roze
はじめまして。

霊感なのか?病気なのか?

霊障を取り払って病気を軽減した話は私のまわりでは

よくききます。

どちらも目に見えない世界の事だから、私にはわかりません。

霊の事も病気の事もプロじゃなきゃわからないし、
残念な事に私は素人です。


病気になった頃、トラウマ?だとか色々自分自身掘り起こす
作業をやってみたけど、いくら色々掘り起こしたところで、
病気が治んなきゃ意味ないじゃん・・・って事に気がついて

めんどくさくなって、その作業をやめました。


私自身の出した結論はこうです。

病気が治ればどんな手段でもいい!
幸せになりたい

とね。



2007年05月08日
11:50
卯月妙子
Rozeさん
同意です。

自分の行為(この日記を書いた心理)が滑稽でもあり、恐ろしくもあります。

いま、わたしの周りには、ストレス要因がありません。

わたしは「仮想敵国」を探し始めたようです。

女子医大で、担当医は、
「この点滴には、薬は一切入っていません」
と、繰り返し言いました。

ですがわたしは、看護婦から、「薬は入っています」と、聞き出しました。

その薬は、リントンでした。

担当医は、わたしを試したのです。

当時は、「そんなものに負けるか」と思いました。

しかし、今頃になって、怒りが込み上げてきています。

この間まで、Rozeさんと同じ気持でした。

それなのに、万能感が強まるに従って、攻撃対象を求め始めてしまいました。

また、振り出しに戻ったような気がして、疲れてしまいました。

撒き餌をして、釣ろうとし始めたのです。

自責の念は強くあります。

ですが、攻撃的な気分も、強いです。

Rozeさんの書き込みに、自分の理性が、「その通りだ」と、反応していますが、一方で、かなり支離滅裂な自分がいます。

わたしはここから脱却したいです。
2007年05月08日
12:06
Roze
>女子医大で、担当医は、
>「この点滴には、薬は一切入っていません」
>と、繰り返し言いました。

>ですがわたしは、看護婦から、「薬は入っています」と、聞>き出しました。

>その薬は、リントンでした。


私が卯月さんの立場にいたら、激怒してその担当を殴りつけたくなるほどに怒っています。

患者を馬鹿にしやがって!!!ですよ!

患者を治す立場の医者が何故患者の心に猜疑心をもたせるような事をわざとするのか理解できなかったからです。


私事の話ですが、皮膚科で似たような体験をしたので、
私は実際行動に移して消費者センターに電話して苦情をいった上、医者を替えました。

私は怒るべきときには怒って当然という考えをもっているので、そのようにやってますが、
世渡りは、なかなか難しいことが多いものですね。

怒るべきときに怒ることが出来ないことも多々あって、
その部分でものすごいバッシングも受けたこともありましたよ
でも負けたくなかった。
ココロの病気になってしまったんだけどね。。。



2007年05月08日
12:32
卯月妙子
Rozeさん
両手両足をベットに縛られた状態で、担当医に「この点滴には薬が入っていません。気分はどうですか」と、繰り返し聞かれたときには、ものすごい虚脱感と情けなさで、なにも反論できませんでした。

退院後、ものすごく悪化した状態で、主治医に、「表現活動をやめて、入院時と同じように、一切刺激のない生活をしなさい。その条件を飲むまで、薬は出しません」と言われたとき、「これだけ切羽詰まっているのにと、途方に暮れました。

もしもあのとき、すぐに知人が今の病院を紹介してくれなかったら、確実に自殺か、また妄想から事件を起こして、どこかの病院へ措置入院だったでしょう。

主治医には主治医の考えがあったのでしょうが、わたしは絶望しました。

大学病院の体質なのでしょうが、振り返るだに恐ろしいです。

二十年後の夢 2007,5,8
いま、精神状態が、いわゆる「万能感」へ向かっている時期なので、すべてが前向きに感じられる。

能動的で、活力に満ちている。

一週間後には、「無敵」になって、「神が降臨」しているだろう。

幻聴幻覚が治まり、引きこもりを脱し、自分に可能性を感じるような状態だ。

いまのウチだから書いてしまうが、「幻聴、幻視、妄想」には、行動も言動も、支配される。

恐ろしい強制力を持って、わたしを支配してくる。

いまは、自分が自分の「主」になっているので、快活でいられる。

しかしまたこれがくせ者で、「神が降臨」してしまうと、思考の収拾がつかなくなり、シャブをやっている状態と、何も変わらなくなる。

テンションが上がり、好戦的になり、駅でパスネットが読み込まれなかっただけで駅員を怒鳴りつけたり、粗暴で横柄になる。

昔、シャブをやっていて、百円玉と五百円玉の区別がつかなくなったとき、「限界だ、シャブをやめよう」と、反省し、シャブをやめたという出来事があった。

灰皿からそれた場所に煙草の灰を落として、「灰皿が悪い、誰かが拭いてくれて当然」だと思い込む。

そうなる前の、一番いい時期が、いまだ。

いわゆるロックオンも、この時期に始まり、諍いの種を蒔き、その被害妄想が、毎月二十日以降に起こり、苦しむ。

今からが、「他人を攻撃する時期」で、二十日以降が「攻撃される時期」なのだ。

今日はおやじと、今月の妄想対策を立てた。

毎月二十日以降から、次の生理までの、被害妄想と幻聴幻視の対策だ。

今月は、とにかく、寝逃げ。

脳が、疲労困憊するから、とにかく、何をも最優先して、最低十時間は、寝る。

被害妄想に追いつめられて、行動に踏み切ろうとするから、そのときはもう予兆の段階で、リスパダールと、ヒルナミンと睡眠薬を服用する。

そうして、肝心なのは、被害妄想の根幹にある意識、出来事、言葉について、解決するまで喋りまくることにした。

だいたいが、単純な思い込みだったり、行き違いだったり、過去の嫌な出来事だったりする。

そういうものは、全て喋ってしまって、解決してしまうことにした。

解決しても、感情は残るので、それはもう、次の生理まで、寝て逃げる。

嵐が過ぎ去るのを、待つ。

これで、いってみよう。

「万能感」「神の降臨」は、リスパダールが効くそうなので「調子がいい」と思った段階で、内服液を服用しよう。

そうこうしているウチに、あと十年もすれば、脳医学の進歩で、特効薬が出るはずだ。

わたしはそれに賭けている。

そのときに成し遂げたい夢があって、さっきまで、おやじと、その話しで盛り上がった。

「日本画家になること」と、「宮沢賢治を演じる」ことだ。

保育園のころ、わたしは、「自分は当然画家になるものだ」と、思い込んでいた。

その思い込みから始まり、ロボットアニメに行ったり、劇画に行ったり、ギャグ漫画に行ったり、宮田雅之の切り絵に行ったり、紆余曲折した。

三年前、初めて、退院してから真面目に絵を描いてみたが、指の末端のコントロールが出来ず、構図もパースもガタガタで、あまりのショックで、今日まで、絵を描くことをやめていた。

でもやはり、描きたい。

テレビで、日本画の特集を観て、やっぱり諦めないでやってみようと、決めた。

二十年後、NYのジャパンソサエティーのエントランスにかかっているのは、草間弥生(字が違う?)じゃなくって、わたしの描いた絵だ。

そうなるように、頑張ろう。

高校生の頃、わたしは、寺山修司の短歌と詩、吉原幸子の詩、石原吉郎のエッセイ、小林秀雄の文章、それからもう、どうしようもなくゴッホ、このひとたちを、神様のように思っていた。

もちろん他にも読んだり観たりしたけれど、とくにも日本画家は名前を覚えていないけれども、散々模写したものだ。

ものごとには、順番があるのかなあと、思う。

いま、寺山修司を演じる機会に恵まれた。

これはもう、なによりも嬉しい。

一時期死ぬほど憧れた世界を、今度は違った目で、体験するだろうし、あの頃とは違った理解で、演じるだろう。

神様のひとりを、降ろすのだ、自分に。

こうして、ひとつひとつ、階段を上ってゆきたい。

理解には、年齢と経験が、必要だ。

これは、「寺山修司という時期」を、神様が下さったのだと、思う。

何故、二十年後に宮沢賢治なのかというと、わたしの根っこに、このひとへのあまりに切ない近親憎悪があるからだ。

小学校の教科書で出会って以来、様々に読み、嫌な思いをし、しかし、憧れ、いつしか、こうありたいと思うように、なってしまった。

けれどもまだ、読むと、苦しい。

受け入れられない。

でもまあ、少しずつ、理解してゆこう。

こころの底にいつも、宮沢賢治がある、これを自覚し、受け入れただけでも、自分の進歩を認めよう。

まずは、寺山修司。

寺山修司に対して、素直になろう。

このひとの、あらゆる面を、知ろう、理解しよう、感じよう。

先日の、解体社の稽古で、「背景を連れて歩く」という訓練をした。

わたしは、一時間かけて、往復6メーターほどの距離を、歩いた。

そのときにこころに持ったのは、寺山修司の、短歌だ。

荒みきったすすき野と、陰鬱な青森の空を、イメージした。

恐ろしく疲れた。

唇の脇からは涎が出て、コンタクトが乾いて目に刺さり、手が奇怪なかたちに硬直し、足の指は、これでもかというほど、床を噛んだ。

ともかく、わたしの中での、寺山修司との、再会だった。

新たな旅を、はじめよう。


芝居屋・劇団羊のしっぽ 番外実験公演決定!

「赤糸で縫いとじて。〜漂流 寺山修司』

 7月14日(土) 19時開演
   15日(日) 19時開演

会場
 新井薬師&中野下車 「WESTEND STUDIO」
http://www.studio-life.jp/westend/
 
 寺山修司の言葉と緊縛

 出演
  卯月妙子

  武田光太郎


  有末剛

  
  服部賢一
  他 オーディションにより決定

 料金 2000円
 ☆年齢による入場制限はありません。

 構成・演出 森島朋美
 照明 田向澄男
 音  DubMasterX

☆チケット先行予約開始 5月4日
 ☆ご予約はホームページよりメールにて。
  ご希望日、枚数、お名前、御連絡先(メールアドレスOK)
 
お申し込み、お問い合わせ
 http://hitsujinosippo.com/

「病人としての」ありかた 2007,5,7
「博士の愛した数式」(博士は、交通事故による脳の障害で、80分しか、記憶が持たない)

「明日の記憶」(渡辺謙は、アルツハイマー病)

今日、たくさん映画を観たけれども、この二本で、「病人としての」ありかたを、考えた。

病識は、正しく持つべきだ。

出来る事と、出来ない事を、常に、怖がらずに、把握するべきだ。

出来ない事を知るには、何度かやってみるしかないから、出来なかったショックでへこむのではなくて、なるほどと、思えばいいのだな。

それから、病気だと言い訳をしないことも大事だ。

弱気になると、よくない。

自分の病気を責めたり、周りに対して申し訳なく思ったり、自分を卑下するのは、かえって周りに迷惑だ。

病気だからと、行動半径を狭めて、世間を持たなくなると、被害者意識に苛まれてしまう。

チャレンジ精神は、度が過ぎない程度に、大事。

病気なりに、楽しく生きようという、心がけも大事。

常に、いまの、「最善」とはなにかを、考えて、実行することは、非常に大事。

健康な人への、劣等感は、嫉妬につながるので、自分の特技を生かそうという努力は、大事。

「病気を理解される」ということは、まず、難しい。
過剰な期待は、絶望につながるから、健康な人の不用意な発言を、寛容に受け止めるように、心がけることは、大事。

のんびり構えることは、大事。

でも、精一杯やるのは、もっと大事。

ひとを信じる事は大事。

やるべきこと、睡眠をしっかり取る、無理はしない、薬はきちんと飲む、健康に留意する、そういった自己管理は、病人として最低の義務。

伝わらないなりに、病状と気持を、周りに素直に伝える事は大事。

そのためには、快、不快という感情に、嘘をつかないことは、大事。

健康な人の時間を、むやみに奪わないように、ひとりで出来る楽しみを持つ事は、大事。

病気に開き直らないことも、大事。

少しでも、社会と係り、人に対して愛を持つ事は、大事。

自分を救う努力は、自覚して行うことは、大事。

自分のペースを掴むことは、大事。

周りのひとが心配しないように、連絡を怠らないことも、大事。

幸せにいようと心がけることは、大事。

発散したくなるのは、健康な人にも等しくその感情はあるのだと、引いてみることは大事。

被害者意識を持ったときの、逃れ方を学ぶのは、非常に大事。

病気の傾向で、変わり者だと思われるのを、恐れない勇気は大事。

思考の逸脱、行動の逸脱を、他人から指摘されても落ち込まないことは、大事。

だからといって、気持に無理をしないことは、大事。

ストレス要因は、なるだけ避けて通る智恵は、大事。

助けてくれる仲間を、大事にして、常に感謝の気持を忘れないことは、大事。

劣っているという意識は、持たないように、健康な人と自分を比べない事は、大事。

どのみち周りに負担をかけるのだから、感謝の気持を持つ事は、大事。

足るを知ることは、とても大事。

周りのひとの気持を考えて行動することは、大事。

出来ないなりに、自立心を失わないことは、大事。

死を連想させる言動、行為は、しないように、生きる方向へ向かうことは大事。

美学を持つ事は、大事。

なにより出来る限りの愛情で、周りのひとに対することは、大事。

衰えてゆくことを、怖がらないことは、大事。

感謝して生きる事は、大事。

病気を忘れるくらい、なにかに没頭することは、大事。

周りのひとに、なるだけ経済的負担がかからないようにするには、どうしたらいいか、小さな事でも工夫することは、大事。

逸脱を指摘されたら、素直に聞く事は、大事。

決して、病気をアイデンティティーにしては、駄目、思考停止のもとになるので、それは一番、いけない。

気を長く持って、一生病気と共存しようと、前向きにいることは、すごく大事。

情報の公開は、大事。

せっかくだから、病気の認知度を上げて、多くのひとに、病気のメカニズムを説明し続けることは、大事。

自分が病気だからと、ただ守ってもらうのではなくて、人に対して出来る事を、少しでもする努力は、大事。

決して悲観しないで、今日を楽しくすごすことに、全力投球することは、大事。

いまこの瞬間は、永遠に等しいと、大事に日々を送る事は、とても、大事。

こどもの日 2007,5,5
息子から、「博士の愛した数式」を観ろと、メールがきたので、借りて観ました。

今日は、朝から、映画三昧で、ずいぶんこころを使いました。

わたしはどうしても、癖で、ひととひととの、やりとりの、言葉に、反応してしまいます。

だから今日は、いっぱい傷ついたし、いっぱい発見したし、いっぱい嬉しくなって、大変でした。

なかでも、「博士の愛した数式」は、奥さんと家政婦さんのやりとりに、胸がくるしくなって、どう言葉をかわしたら、どっちも傷つかずにすむだろうと、悩みました。

この作者は、なんと優しいひとなのだろうと、涙がたくさん出ました。

わたしも、優しくなりたいです。

あと、どうしても、息子と、ルートの姿が重なって、泣けて泣けて仕方がなかったです。

息子も、これをわたしに観ろと言ったのは、わたしと同じ気持も、あったのかなあと思います。

丁度,見終わったときに、母からメールが入りました。

×××

いま 見つけた すてきな 言葉を 紹介します。

大村はまさんという方

子どもたちに安易に だれでも やれる やれば やれると
いいたくない。

やっても できないことがある。

それもかなりあることを ひしと 胸にして

やっても できない 悲しみを越えて、

なお、

やってやってやまない ひとにしたいと 思う。

×××

今夜は、菖蒲を買って来たので、お風呂が楽しみです。

寺山修司 2007,5,4
まだ、
両足がしびれていて、

あたまが、こころをすっかり使い果たしたのだと、
うごきません、

気がついたら、
あなたはすっかり眠っていて、

わたしは、
蛙のようなかっこうのまま、

気を失っていました、

わたしは、
もうしばらく使い物になりそうがないので、

けれども、
しずかに染みわたるしびれが、

おさまりそうにないので、

あなたへむけて、
書いています、

汗が、
やっと引いてきましただけどまだ、

落ちてしまったアイラインも、
よじれてしまった口紅も、

洗いにゆくようなこころもちには、
ならないのです、

虚脱、
こころよい虚脱のなかに、

あなたのしずかな寝息に、

切なくこみあげるものがあって、

声をたてずにひたすらにちからを込めた両腕のふるえがいまだ止まらないのが、

えんぴつと紙ならばもっともっと伝わったでしょうね、

今日、
お墓参りにゆきましたね、

あの女性が言った言葉をこころのなかで反芻してしまうのです、

「あたしは寺山のお墓参りには、かならずスカートをはくのよ」



「わたしは神だ」 2007,5,3
今日は、診察日だった。

おやじ、ミカンの花さん、おっかあ、おばちゃんで、待ちに待った銀ブラであった。

「蜂の子」という、隠れ家的なお店でランチをし、聖路加病院まで、散策した。

銅張り建築を眺め、築地の街を楽しんだ。

病院の待合室は、連休前ということもあり、非常に混雑していた。

予約から一時間押して、診察が開始した。

またしても、全員で診察室に入った。

医師としては、恐ろしい威圧感だったろう(笑)

「調子はどうですか?」

わたしは、日記のコピ−を持って来ていたので、それを渡した。

「引きこもる時期が過ぎて、そろそろ活動期に入ってきました。睡眠薬を大量に飲んでも、眠れなくなるんです」

「どのくらいの量を飲みますか?」

「レンドルミン1ミリ、ロヒプノール4ミリ、それにリスパダール内服液2ミリで、ようやく眠れます」

「ヒルナミンに変えてみますか?」

「ヒルナミンは寝ぼけがひどくなるので、現状のままでいいです」

「活動期というのは、他にどんな症状がでますか?」

「とにかく興奮して、大声で歌を歌い続けたり、独り言が止まらなくなったりします。自分が神のように思えて、車道の真ん中に平気で飛び出したり、それで、”わたしの為に、車がみんな止まってくれる”と思い込んだり、変なんですよ。”仕事をする”とネットで宣言したり、出版社に電話を掛けまくったり、予定を山のように入れたりしますが、思考が纏まらなくて、結局なにもできません」

「それは、”万能感”というのです。リスパダールで抑えることができますよ。実際、この万能感の現れる時期は、危ないんです。平気で危険な事をしますからね。どう対処するかですね。注射は経験はありますか?」

「眠れなくなって興奮し過ぎたときには、タクシーで病院へ行って、リントンを注射してもらっていましたが、タクシーの中で眠ってしまって、連れ帰るのが大変なんです。朝起きると、元どうり、症状が出ますし」(おやじ談)

「ご自分で、薬を飲む事は出来ますか?」

「自分が神というか、無敵になっている時期は、薬を飲まなくなってしまいます。治ったような気がするんです」

「でも、たいがい、わたしが飲めと言えば、わたしの言う事だけは何故か聞くんで、一緒にいる限りは服薬させられます」と、おやじ。

「一人にならない状況にしなければいけませんね。ご家族の方、大変でしょうが。リスパダールは、結局、一日どれくらい飲んでいますか?」

「8ミリ飲めばちょうど良く落ち着きます」

「では、継続して9ミリ処方しますので、残りは頓服用に、溜めて行ってください。ところで、この日記にある、自殺念虜は、前触れはありますか?」

「ありません。突然、死ななくてはと思うんです」

「彼女は、死にたいって言っているうちは大丈夫なんですよ。それが、今日は調子がいいから、帰っていいよと言ったその日に、死のうとするんです。しかも、本当に調子良さげなときにそうなるんです」と、おやじ。

「難しいですね。どう回避しましょうかね」

「最近では、母を呼ぶことにしています。彼に申し訳ないから死にたくなるんだと思います。睡眠薬を大量に飲んで、とにかく寝るしかないかなあと…」

「そのときに、リスパダールも飲んでみて下さい。そうですね、これは寝てもらうしかないですね。難しい問題ですが」

「それから、わたしは椅子に座るとき、例えば、歯医者や美容院、ときどき喫茶店でもそうなのですが、どうしても”拘束されている”と思い込んでしまい、非常に緊張するんです。ワイパックスで、今まで凌いで来れたんで、処方をお願い出来ますか?」

「分かりました。一日三錠で間に合いますか?」

「十分間に合います」

男性恐怖症の件は話せなかったが、今日話したかったことは、全て解決した。

この、「万能感」について医者に話せたのは、初めての経験だ。

これまでの医者は、「調子が良さそうですね」と言って、逆にリスパダールを減らしたりしてきた。

やはり、おやじが横にいてくれるだけで、客観的な視点から、口添えをしてもらえるので、非常に有り難い。

どうしても、診察は緊張してしまうが、ある程度解決したのは非常に良かった。

銀ブラも楽しかったし、次の診察も、楽しみである。

レイプについて、その2。 2007,5,2
昨日の日記を書くことが出来て、「ひとつ、乗り越えられたな」と、おやじに褒められた。

だけれども、やはりまだ、茶化さずには、口に出しては言えない。

今日は診察だったが、言えなかった。

昨日の日記に書いたレイプされたという経緯よりも、もっと根の深い出来事がある。

おやじと、ミカンの花さんの勧めで、書いてみようと思う。

×××

これは、おやじと、わたしがかつてお付き合いしていた女性との、二人にしか、告白出来なかった出来事だ。

旦那さんが投身自殺を図ってICUに収容されたその日、わたしは緊急連絡先として、病院の電話番号を留守電に入れて、家を出た。

漫画「実録企画モノ」にも書いたが、漫画の〆切りが立て込んでおり、わたしは待機室に泊まり込んで、漫画を描いていた。

そうして、昨日の日記に書いた、レコード屋の店長からのレイプ事件があって、二三日後、AVのとある制作屋から、病院に電話があった。

「また、レイプものの企画が来たんだけど」

旦那さんの自殺は、わたしとは合意のもので、実はわたしには、自殺幇助の罪がある。

だが、実際に瀕死の旦那さんの看病にはこころが滅茶苦茶になってしまい、頭髪がごっそり抜けて、とてもAVに出られる状態ではなかったし、心理的にもかなり参っていた。

その旨伝えたのだが、その制作屋は、「構わない、どうしても」と言って来た。

わたしはなんとか断って、了承してもらった。

数日後、わたしは、着替えと、久しぶりのシャワーを浴びに、家に帰った。

シャワーを浴びて、着替えを用意している最中に、誰かがドアをノックした。

インターフォンを鳴らさないのはおかしいと思い、こっそりドアに近づいた。

ドアの小さな穴から覗くと、なんと、そのAVの制作屋三人が、そこに立っていた。

「うーずきさーん、いるんでしょ?出ておいで〜」

当時住んでいた場所には、線路の反対側に、AVでよく使う、スタジオがあった。

領収書にまともに住所を書いてしまい、彼らには何度か、家を覗かれたことがあった。

悪い事に、わたしたち家族は、一階に住んでいた。

ノックはさらに続き、ゆっくりと、インターフォンが鳴らされた。

わたしは慌てて、トイレに入り、トイレの窓を閉めた。

「いるぞ!やっぱいる!」

外で、制作屋のひとりが言ったのが聞こえた。

雨戸はもともと閉め切ってあったが、わたしは全部鍵をかけ、台所に立って、じっとしていた。

その制作屋とは、レイプものの、かなり過激な作品ばかり撮っていた。

彼らが度を越すとどうなるかは、わたしは身に染みていた。

裏庭に回ったらしく、雨戸を開けようと、彼らはガチャガチャやったり、台所の窓を開けようとしたりした。

「全部閉めやがった」

ドア越しに、声がした。

実際にレイプして、それをビデオに撮ろうという魂胆は、見え見えだった。

ドア越しに耳を近づけると、彼らの会話が聞こえた。

「出てくるまで待とう」というような内容の会話を聞いて、全身から冷や汗が出た。

警察に電話しようかとも思ったが、「打ち合わせに来た」とでも
言われてしまえば終わりだ。

わたしはAVでは、「真性マゾ」で売っており、ハードな行為を平然と受け入れることで有名だった。

彼らとの仕事も、実際のレイプ以上の行為ばかりだった。

万が一彼らに家にでも入られてレイプされたとして、それを訴えても、勝ち目はないと、思った。

彼らは、家の前の通りに、バンを止めていたらしかった。

恐怖だった。

四時間以上経った。

その間、わたしはずっと、ドア越しに外を覗いていた。

根比べだった。

ひどい緊張だった。

車が去る音がして、すぐにわたしはおやじに電話をかけた。

「すぐ行く。駅まで出られるか?」

おやじが言った。

緊張の糸が途切れて、わたしはおいおい泣いてしまっていた。

余談だが、実はその制作屋が、プロダクションの真似をしてわたしを売ったのが、おやじの現場で、おやじとの出会いのきっかけだったという、皮肉がある。

わたしは思い切って外に出て、駅まで走った。

ドアを開けるという行為は、わたしにとっては命がけだった。

その日から、おやじは毎日ウチに泊まりに来てくれて、一週間も経たない内に、わたしを連れて、違う区の物件を探してくれた。

わたしは即座に引っ越した。

旦那さんが、ICUから出て、老人病院に移送され、お義母さんのところから、息子を引き取った。

旦那さんの移送先も、近所の病院に転院させた。

三人で疑似家族生活を始めたのは、ここからである。

×××

昨日の日記に書いた、レコード屋の店長の他にも、旦那さんの友達数人から、結婚を迫られた。

どういう訳だか、すでに縁の切れた旦那さんの友人からも頻繁に電話があり、罪滅ぼしに何か手伝わせてくれと、言われた。

わたしはすっかり人間不信になっていた。

いや、人間不信というよりも、「男性不信」だ。

十六歳の頃のレイプからわたしを救ったのは、SMだったが、旦那さんの自殺にまつわるこれらの事件からわたしを救ったのは、おやじの無尽の愛だった。

昨年末、おやじと別れ話が出たときに、わたしたちは、ある約束をした。

わたしは、仕事以外で、おやじ以外の男性に身体を触られることには耐えられない。

二人っきりでいるだけでも、安定剤が必要だ。

おやじ以外の男性を、受け入れられないのだ。

だから、年に四回、二人でどこかへ旅行へ行こうと、約束したのだった。

芝居で、稽古中、役者に顔を触られたことがあった。

どっと冷や汗をかき、心拍数が上がり、たちまちわたしは過呼吸になった。

これが、去年の出来事である。

ハグしたり、握手したりする分には平気なのだ。

なのに、不用意に触られた途端に、これである。

もう、十年以上、経っている。

それでもまだ、わたしはおやじ以外の男性を、受け入れることは出来ない。

レイプについて。 2007,5,1
2ちゃんねるで、わたしがスレを立てて暴れ始める、前だか、後だか、わすれたけれども、とあるサイトが、ネットウォッチ板に、晒されていて、それを気に病んだサイトの主宰者のYさんが、神経症気味になって、サイトを閉じたということがあった。

そのYさんは、難病を患っていて、その難病を笑い飛ばそうという目的から、サイトを立ち上げたらしかった。

某K子さんという、自称鬼畜レディコミ作家が、Yさんにサイトの立ち上げを進めたという経緯があったそうだ。

そのサイトには、あらゆる難病を患っているひとが集っていて、最初わたしは、非常に共感して、Yさんを応援していた。

様々な経緯があって、そのサイトは人間関係がこじれ、2ちゃんで叩かれたこともあって、消滅したのだが、その前のある時期に、わたしはレディコミ作家のK子さんの書き込みが、あまりにも行き過ぎていて、それにおもねるYさん、その他の、サイトの住人の書き込みに、ゾッとしたことがあった。

それは、K子さんが、当時題材にしていた漫画の設定を、脈絡なく、Y子さんのサイトに書き込んだことから、単を発した。

「レイプすらされないようなブスと、すごく美人だけれどもレイプされた女とでは、どっちが不幸だと思う?」

という、書き込みだった。

サイトの住人は、面白がって、その話題で盛り上がっていた。

そうしてその内容に不快感を感じた通りすがりの書き込みである、「不謹慎だ」という書き込みに対し、「これは大人の冗談だから、不愉快なら来なければいいじゃないか」と、みんなが叩いたのだった。

わたしは、過去、たった二回だが、レイプされた経験がある。

よっぽどそのことを書き込んで、ふざけるなと書き込もうかと思ったが、無意味だろうなあと思ってやめた。

だから、ただ一行、「されたひとにしか分からんわな」と、書き込んだ。

それ以降、そのサイトから、わたしは遠ざかってしまった。

一回目のレイプは、十六歳の頃である。

風俗のバイトをしていて、白タクの車で次の現場へ送られてゆく途中、わたしは疲労困憊して、車の中で爆睡してしまった。

起こされて、自分が、街からずっと離れた、山の中にいることに気付いた。

白タクは、「今日の売り上げをよこせ」と、わたしに迫った。

拒否したら、びんたされた。

「スロットで擦ったから、金がいるんだよ」と、白タクは言った。

冗談じゃない。

高校を中退して、東京に住んで漫画家のアシスタントをしたいという当時の目的のため、他にも、同人誌を出版する費用やら、東京でコミケをやっている友達のところへゆくための交通費やら、風俗店で着る衣装やらを買うための、大事なお金だ。

一生懸命、セックスが下手なりに、頑張って稼いだお金だ。

わたしは断固として拒否した。

「それならお前をここに置き去りにしてやる、それが嫌なら、金を出せ」

どこの山だか、分からない。

恐怖を感じた。

白タクは、「お前、ホントに十六なんだな?」と言って、わたしにのしかかって来た。

「やるんなら、金払え!」

虚しい抵抗だった。

髪を掴まれ、「服を破いたら、どうやって親に言い訳すんの?」
と言われた瞬間、物事をリアルに感じて、わたしは硬直してしまい、後はなすがままだった。

このまま、山に放置されるかも知れない。
殺されるかも知れない。

コンドームを着けてと懇願したが、ふざけんなのひと言で、愛撫もなにもなしに挿入されて、その最中ずっと、「中で出すのだけはやめて」と言い続け、「ならば口でしろ」と、それでことは終わった。

稼いだお金は、全部取られた。

そのまんま、次のお客さんのところへ連れてゆかれた。

仕事が終わったあと、白タクは、迎えに来なかった。

その店とは、それきりになった。

もっとかわしようがあったかも知れない。

しかし、当時の未熟なわたしには、あれが精一杯だった。

その後はテレクラで稼ぐことにしたのだが、今思うと、わたしも学習が足りないというか、なんとも浅はかだったなあと、我ながら思う。

まあ、子供なりに一生懸命だったのだが。

二度目のレイプは、旦那さんが投身自殺を図って、ICUに収容されていたときである。

当座、入院費に、四十万必要だった。

とてもAVに出演する精神状態ではなかったので、取り敢えず、旦那さんの溜め込んで来た、現代音楽のCD千枚ほどを、処分してお金を作ろうと思った。

懇意にしていたレコード屋の店長に家に来てもらい、二人で丸二日かけて、値段をつけ、箱詰めし、発送した。

晩ご飯を作って二人で食べ、御礼を言って、引き取ってもらおうとしたときだった。

「前から好きだった。結婚してくれ。あのひとの病気の面倒を見て来たんだから、俺の病気の面倒を見る方が、軽い、結婚してくれ」

こっちは、それどころではない。

お金を作って、早く病院へ戻らなくてはと、焦っていた。

噛み合ない会話が続いて、いきなりそのひとは、わたしを押さえつけて、床に倒そうとした。

嫌だと抵抗して、殴られた。

服を脱がされながら、部屋から逃げて、玄関に辿り着いたところで、足を掴まれて転んだ。

首を絞められた。

「俺を舐めるな」

そのひとは、今まで見た事もない形相で、わたしの首を絞めながら言った。

頭に血が昇った。

今度は、何を思ったのか、わたしの肩の骨を外そうとしてきた。

本当にこのひとは危険なんだと、血の気が引いた。

玄関口に頭が堕ちた状態で、ズボンを脱がされた。

髪の毛を掴んで、挿入してきた。

身体中擦り傷だらけだった。

悔しくなった。

すぐ横に、旦那さんが飛び降りたときに着ていた、血だらけの服が置いてあった。

こんな状況でも、こいつはこういう行為が出来るのかと、無性に腹が立った。

相手が、果てようとした瞬間、わたしは腹の底から笑ってしまった。

笑いが止まらなかった。

相手は驚いて、わたしから離れた。

「エクスタシー持ってるの。飲んで、お布団でしない?」

そう言って、旦那さんが飲んでいた抗精神病薬を飲ませた。

相手が朦朧としてきて、わたしはタクシーを呼び、その男をシートに座らせ、「本厚木まで行ってください。その頃には、酔いが醒めると思うので」と、言ってやった。

もちろん、財布はわたしが頂戴した。

そのあとすぐに、おやじに電話した。

おやじと暮らすようになったきっかけは、これである。

以降、わたしは男性恐怖症になった。

風俗で働くぶんには平気だ。

ホステスをやっていたときも、お得意さんとお付き合いするのは平気だった。

しかし、私生活でおやじ以外の男に、身体を触られることが、無性に不快だ。

おやじ以外の男と二人っきりになると、恐ろしく緊張する。

そういうシュチュエーションになるときには、必ず安定剤を飲んでいる。

ナンパされると、攻撃的な対応をしてしまう。

暴力にたいする恐怖は、なかなか消えない。

「殺されるかも知れない」という恐怖心は、そう簡単に消えるものではない。

そうして、自分の意志を無視して性交渉に及ばれることの、あの惨めさは、いまだにフラッシュバックする。

憎んでも憎んでも、どんなに忘れようとしても、解消されるものではない。

自暴自棄になっていて、なし崩し的にということとは、訳が違う。

暴力で自分が「征服されてしまう」悔しさは、恐らく、世の男性が思っている以上の感情である。

わたしは、レイプ犯は、死刑でもいいと思っている。

尊厳を踏みにじられるという、この非人道的な行為を、わたしはどうしても軽く考える事はできない。

昨年、Yさんから、友人が出版したという本と、自分がネット活動を始めたのでまた遊びに来てくれという手紙が届いた。

だが、わたしは、あのときの鬼畜漫画家K子さんの書き込みに対する、彼女の書き込みを、忘れる事は出来ない。

許す許さないではなく、もうこれは、生理の問題なのだ。

夕べたまたま友人とレイプの話しになり、今こうして日記に書いている。

おそらくYさんは、ここを見ているだろう。

わたしが連絡をしたくないのは、そういう訳だ。




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