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☆★☆旅の空☆★☆ ★Under the Sky around the World★ 山岳ライター・柏澄子の毎日。仕事部屋の様子、取材の話、クライミングや登山、旅の話などなど。

Since 2004Dec.17
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更新履歴 |
| 2008,8,19 |
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好きなことは書けない |
| 2008,8,18 |
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広がる年の差 |
| 2008,8,17 |
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季節が変わって |
| 2008,8,16 |
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家シゴト |
| 2008,8,15 |
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夏の作品 |
| 2008,8,14 |
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山ごはん |
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| 広がる年の差 | 2008,8,18 |
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終日編集作業をして、夕方岳人へ。デザイナーさんに初校ゲラを戻し、いくつか変更のお願いもした。この先、彼にとってもこまごまとした作業が続く。ほか、表紙の打ち合わせ。
その後、有楽町に出る。首の皮一枚で我が部はつながった。 来春卒業予定の4年生部員一人のところに、1年生部員が入ったのだ。 しかも、「山に登りたい」「岩に登りたい」「雪山にも登りたい」という意欲ありあり。リスクの伴う部に入るのに、やる気があるのは当たり前かもしれないけれど、そうとも限らないのが現実。なんとなく入ってみる、友達に誘われたから、という人も中にはいるのだ。だから、部員が少ないことも(つうか、来春からまた彼ひとり)なにも気にならないといって、登山そのものに興味を持って入ってくれるのは、とても貴重。
彼と話をしていて気づいた。ふた周りとは言わないけれど、それに近い年齢差があるのだ。つまり20歳以上。我が部初の平成生まれ部員。 当然のことであるが学生と私の年齢差は年々広がっていく。若手OBに役目を譲りたいけれど、代が途切れた我が部、貴重な人材は遠方に住んでいることが多く、こんな歳になっても学生と付き合っている。 年齢差については、しばらく黙っておこう。 |
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| 季節が変わって | 2008,8,17 |
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昨晩、夫の帰宅を待って近所の焼き鳥屋へ行く予定だったのが、突如の大雨。あまりの豪雨に家を出るのをためらってしまった。雨脚が幾分弱まってから出かけたが、そのときにはもう、空気感が秋だった。 今日の東京も涼しい。季節が変わってしまったのかもしれない。 ここ数年、夏には四川省の山奥にいることが多かったので、こんな季節の風の匂いをかぐと、彼の地の風景やチベット人たちのことを思い出す。 匂いや音(音楽)によって、過去の記憶が呼び起こされることもあるけれど、私は断然、空気感。風や空気の肌触りによって、過去の記憶がよみがえる。
仕事も季節の変わり目。 現在進めている雑誌の仕事は、11月号。すっかり秋も深まった頃の話題になる。ほかはスキー雑誌の原稿締め切りもやってきた。もうあと少しで初雪なんだ。 |
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| 家シゴト | 2008,8,16 |
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書籍と雑誌の仕事を交互にやりながら、1日が終わる。 普段登山をしない人と山に行くとオモシロい。今回もいろんな発見があった。普段から草木に親しんでいる彼女は、山の草木にも造詣が深くて、ひとつひとつ丁寧に観察していた。そして自然のありがたみを実感していた。私は、感動と感謝が薄れているように思う。 もうひとつオモシロかったのが、彼女が山ヤたちのファッション・チェックをしていたことだ。全て彼女の言うとおり。なぜ私たちは、山に行くとなると、変なコーディネートになっちゃうのでしょう? 日本人はカジュアルな服装が苦手なのだろうか? デザインの仕事をしている彼女は、どーしても彼らのおかしなコーディネートが気になって仕方がないようだった。機能性を重視するからといっても、いまどきは選択肢が狭いわけではない。 彼女が「あの親子はおしゃれ」と言ったのは、30-40代の男性とその息子。息子の服装はウル覚えだけれど、父の服装は、上がきれいな黄緑色にグレーのラインが入ったホグロフスのTシャツ AZER TEE。下は、メーカーはわからなかったけれど、同じくグレーのパンツ。がっちゃん曰く、ブラックのパンツは×。色が強すぎてほかとのコーディネイトがうまくいかないと。私もそう思うが、無難なブラックは必ずメーカーが作る色だ。 さらに彼は、グレーのキャップをかぶり、フレームレスではないのだけれど赤いラインがちょっとだけ入ったスポーティなサングラスをしていた。 もうひとりは明神で見かけた50-60代の女性。彼女は私も目に留まった。薄いベージュのチノパンにオフホワイト地に小花が散っている透けた涼しそうなブラウスを着ていた。登山用の服ではない。上高地から明神か徳沢あたりまでを往復しているのだろう。背負っているのはドイターのザック。おそらく今回のために新調したのだろうけれど、赤にグレーのさし色。その赤がブラウスの小花の赤とそろっていて、いい感じだった。 がっちゃん曰く、服装のコーディネートはできていても、ザックを背負うとがっくりの人も多いようだ。ザックは面積が大きいから、色使いが厄介である。 それぞれのモノをそれぞれが必要になったときに買うから、いくら自分のワードロープを把握していても、年によって流行の色が違ったり、なかなかあわせ辛くなるのは現実。しかし、私も一応雑誌を作っている身としても、もう少し気を使うことにした。 DIVA仲間はなかなかみんなお洒落さんたちなのだ。 岳人9月号に拙著を2冊紹介していただいた。『ドキュメント山の突然死』と共著の『これで安心山歩き基本ハンドブック』だ。端的に要点をついた紹介を書いてもらって感謝。 ほか、日本ヒマラヤ協会の会報誌である『ヒマラヤ』9月号(No.442)にも、山森さんが『ドキュメント山の突然死』紹介文を書いてくださった。2003年秋にチベットのフンチ(7011m)で血栓症になった会員のレポートと一緒に紹介されている。高所登山で血栓症になる人は意外にも多いとみているが、そのリスクを認識している人は少ないかもしれない。死に至ることもあるので、高山病同様に、高所登山に向かう人は知るべき内容。 ところで、岳人。9月号から一部の紙が変わった。表紙は光沢のないマットなものとなった。写真の絵柄によるのかもしれないが、今月号は写真の発色もよく、いい感じだと思った。 |
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| 近くて遠い山 | 2008,8,12 |
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本格的登山がはじめてのがっちゃん。今回の山行は、涸沢でキャンプをして山登りをしたいという彼女の希望から計画したのだ。 ルートの難易度から考えると、初心者には北穂の南稜よりも奥穂に向かうザイテングラードのほうがちょいと安全だろうけれど、山頂からの景色を考えると、北穂がよいという私の個人的意見で北穂に決まった。登ってみて再認識したのは、初心者にとって気が抜けるところが少ないコースだったことだ。 万が一に備えて、スリングとカラビナ、短いロープを持参した。 朝5時半、朝日を浴びる南稜をゆっくり登り始めて、山頂を目指す。 私にとって北穂は、とっても思い入れのある山だ。朝、上高地から歩き始め、空身で飛ばしていけば昼前には着くから、東京の自宅から計算しても1日弱で到着する。そんなに遠いわけではないけれど、最近は遠くなってしまっていた。ものすごく近しい気持ちがある分、なかなか足をむけることができなかった。 約2シーズンに及んだ北穂高小屋での取材が終わったあとは、なにか理由がなければ行っちゃいけないような気さえしていた。無論、小屋のみんなにはそんな雰囲気がないのだけれど、取材中、無意識のうちに小屋のメンバーと距離を置いていた私は、取材が終わったあと、彼らとどう接してよいのか、近しく思っているがゆえにわからなくなっていたのかもしれない。 南稜を登りながら思い出しだことは、いつも、一人で南稜や雪の北穂沢を登下降していたこと、小屋のメンバー達の好物(すっかりもってき忘れた)、小屋開けの緊張、山頂から見る四季折々の風景や、季節がダイナミックに変わる様、足立さんと登った滝谷やキジバハングなど。 山頂から小屋に向かって階段を下りると、予想通り売店にやざきジョーがいた。足立さんもハヤカワさんも、義秀さんもいた。義秀さんとは、先代である「社長」(父・義治さん)の葬儀以来だ。 私が北穂で過ごした時間から比べると、ごくごく短い時間であるけれど、みんなと話をして、当時と何も変わっていないと感じた。でも、実は、もっと長い時間彼らと過ごせば、確実にあの時から時間が経っていることも実感するだろう。 涸沢に戻り、涸沢小屋のテラスでビールを飲んでいると、『ヤマケイJOY』編集部の 大畑さんとキムカズさんが仕事で上がってきた。8/24-26に控えた 涸沢フェスティバルの打ち合わせだそうだ。 |
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| 水力発電の小屋 | 2008,8,10 |
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午前中はどうしても外せない仕事があった。 その後、大急ぎで準備をして新宿駅へ。途中、がっちゃんから入った携帯メールには、「この格好で表参道を歩いているとかなり浮いています」とあった。そりゃそうだ。 あずさと松本電鉄とアルピコバスを乗り継いで、上高地へ。 通称「山研(さんけん)」。正式名称は 「日本山岳会上高地山岳研究所」。岳沢の登山口手前にある。宿泊するのは初めて。 小屋の脇で小規模水力発電を行ない、その電力を小屋の一部で使用している。 もうひとつ特筆すべき特徴は、古い山岳書が置いてあること。岩雪は創刊号からあり(近年のものは少数)、ほかマニアだったら喉から手が出そうなほどの初版本も多数。もっと時間をかけて読みたかった。 |
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| いつもの御宿 | 2008,8,9 |
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一昨日の晩の花火大会では、御宿の人口はいつもの10数倍に膨れ上がっていて、そこかしこで混乱が起き、それはそれは尋常でない状態であったが、あっという間に人はひけて、いつもの御宿に戻った。
朝の波乗りをしたあと、千葉で一仕事して、そして夜には自宅へ。 たまっているデスクワーク、自宅でしかできない仕事を片付ける。 |
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| 甥っ子たちの夏休み2 | 2008,8,8 |
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波乗りのために朝5時に起きると、甥っ子達も起きてきた。 家を3時に出てクルマを走らせてきたというカワグチくんは、すでに浜辺に着き、太鼓をたたいているというメールが入った。朝ごはんを食べていると、海から戻ってくるカワグチくんが見えた。手を振ると、部屋に上がってきた。
甥っ子とサトシくんも私たちと一緒に海へ。
波は小さいしぐちゃぐちゃだし数も少ないけれど、ときどききれいな波がやってくる。サトシくんも夫のボードでサーフィンにチャレンジ。 甥っ子ふたりは、遊泳禁止時間なので、波打ち際で遊んでいる。
その後、2回目の朝ごはんを食べる。カワグチくんは夫と一緒にSHOOTSへ。マイ・ボードをゲットしたカワグチくんは嬉しさあまりに、今日はずっと波乗りをするというので、ここでお別れ。 私たちは、久しぶりに守谷へ行ってみることにした。 海水浴場脇の磯で遊ぶ。大人はシュノーケルに夢中になり、交代で子どもの面倒をみる。子ども達は浮き輪で浮かんで、水中眼鏡で海のなかをのぞいたり、磯でカニやエビやヤドカリをつかまえて遊ぶ。
ユキトは積極的に海に出て行くけれど、カズキはまだ怖いのだ。 しかし感心することに、カズキは彼なりのステップアップを考えている。大人たちに連れられて、少しずつ海に近づき、最初はウチの夫につかまりながら、足のつかない海へ出て行った。そのうちに、サトシくんや私をつままえては一緒に海に浮かぶようになった。その後は、自分でバタ足をして移動することもできるようになった。そうなると嬉しいようで、「自分で動いた」と私たちに報告してまわっていた。
大人は遊びつかれたけれど、子どもはまだまだ遊びたい。しかしあまりにもお腹が減ったので、午後2時ごろに勝浦のあまからやへ。 その後、御宿に戻った。これでサトシ+ユキト+カズキの夏休みは終わり。もうおうちへ帰らなければいけない時間だ。まだまだ遊びたいと駄々をこねて、しまいにはふたりは半分ケンカをしながらクルマに乗り込んだ。あとはとーちゃんががんばって八王子まで運転するしかない。
彼らを見送ったあとは、昼寝をして、夕方のセッションへ。 部屋の冷蔵庫をのぞいても、カワグチくんのために残しておいたシュークリームはそのまま。彼はずっと海にいたのだろうか。中央あたりでカワグチくんを見つけて聞いてみると、昼寝をしたり本を読んだりもしたそうだが、ずっと波乗りをしていたそうだ。いくら若いとえ、たいしたものだ。
相変わらず波はなかったけれど、波乗りをして、暗くなった頃に部屋に戻った。 千葉の野菜と魚を食べて、9時過ぎ、カワグチくんは自宅に帰り、私たちは布団に沈んだ。
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| 報告会 | 2008,8,6 |
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ドライトマト作り、もっとすぐにできるかと思ったが、なかなか。天日に干して、今日で2日目。明日中にできないと困るのだ……。
夕方までは自宅仕事。 夜、カメットの報告会におじゃました。 今回、かの地に立った彼らは、日本人にしては76年の日本・インド合同女性隊以来だから、実に30余年ぶり。ほかの外国人とあわせてもごくごく少数だ。インド人たちは、軍隊のトレーニングなどで頻繁に登っているようである。
以前、カメットを一緒に登らないかと資料をもらったとき、上部の写真は何枚か見ていた。それから勝手に想像していただけなのだけれど(考えてみれば根拠なし)、下部もすっきりしていると思い込んでいたが、C3以上、意外といやらしい感じだった。 おまけに天気もすっきりしない。地形的に仕方がなさそうだ。
しかし、インナーラインを越えて、やがて東カメット氷河に入り、カメットの東壁が見えてきたときには、感動するだろうなあ。 ロケーションはすばらしい。あまりにも魅力的な場所にある。そしてものすごくかっこいい山姿である。
インナーラインに入る許可証が手書きなのには驚いた。 報告会後、お酒を飲んで帰宅。
ある登山家が自著で「登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。」と」書いていた。まったくその通りだと思った。 山岳遭難には色いろな性質のものがある。同じように人が死亡し人がケガをしても、その中味はそれぞれで、ときにはまったく異質である。
K2のボトルネック付近の懸垂氷河が大きく崩壊し、多数の死傷者が出たという事故。これだけの死傷者が出たのにはさまざまな要因が絡んでいることが報道されている。これは、あまりにも痛々しい悲劇だ。いくつかの意味で、とてつもない悲劇であると思う。 しかしこの懸垂氷河、写真で見たことのある人は多いだろうが、以前にも何度か崩壊したことがあるという。ある友人もK2登山を終え帰路のキャラバンについたとき、コンコルディアあたりで何気なくK2を振り返ると、あの巨峰であるK2のまるで三分の一以上が雪煙に包まれるような状態になっていたという。 あのときも、ボトルネック付近の懸垂氷河が崩壊したといわれているそうだ。 ひとたまりもない。 |
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| 打ち合わせ+お帰りなさい会 | 2008,8,5 |
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夕刻、岳人で書籍の打ち合わせ。6時からだったけれど2時間半かかり、社を出たのは8時半。 その後、大学山岳部の大先輩とかなっぷと3人で夕食。彼は、約1ヶ月前にカメットから帰国した。久しぶりの海外登山だった。カメット撤退の理由が理由だけに、当事者達から詳しいレポートを期待したいけれど、どうなるかはご本人達の意向次第なのでわからない。報告会ではもっと詳しく話を聞けるか。 混沌と秩序、インドの空気が懐かしくなった。 聖火が四川、成都に入った。 地震からの復興はまだまだ。しかし、今月末には日本の旅行業+報道陣100人近くが成都入りし、いつ観光業を復活できるかなど現地視察をするのだという(現地たってどこだかはわからない。観光地だけだろう)。 デリーでは命をかけた ハンガーストライキが続いている。 知らなかったけれど、8/3に民主党の松原仁衆議院議員が現地を訪れて、ハンスト中のチベット人6人を励ましたのだそうだ。 カシュガルで公安が襲撃されて32人が死傷した。また、日本人の新聞・テレビ記者4人が武装警察に拘束されて暴行を受けた。 現在、水谷尚子さんの 『中国を追われたウイグル人』を読んでいる。 立派な人が世の中にはいるものだと、本当に脱帽させられている。 本の内容も勉強になるが、彼女の視点、取材の姿勢がすばらしく、そこから多くのことを学んだ。 水谷さんは学者であるが、学者でありながらジャーナリスティックな視線もあり、学者的作業とジャーナリスト的作業の両方を両立させながら、内容の濃い取材を続け、海外亡命したウイルグ人たちの話を纏めた。そこには強い信念と究極のバランス感覚がある。 同世代の一流の仕事にため息。 |
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| 編集作業の1日 | 2008,8,2 |
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来週半ばまでに上げなければいけない編集作業、原稿執筆に追われている。 今日は書籍の編集作業。 著者が入れたアカ(訂正)をゲラに転記したり、スペース・デザインの関係上文章量を増やさなければいけないところを増やしたり、減らさなければいけないところを減らしたりしている。 あわせて写真のチェック、差し替え写真の手配も進めている。 冒頭から順番に初めて、まだ1冊の半分ぐらい。 巻末のデータについては手間もかかるから、実際はまだ1/3も終わっていない。 「読み物」(ドキュメンタリーや小説など)の編集と違って、今回のように写真や図を多用したハウツー本は、編集作業が細かくて、時間もかかる。 ゆえに、読み物を編集するよりもギャランティは多くなるのだけれど(のはずだけれど)、それにしてもこまごまと面倒なことが多い。 しかし、このギャラの問題。確かに読み物は編集作業的には少ないけれど(本文を流していけばよい単純な作りなので)、書き手の取材をバックアップしたり、相談に乗ったりと気苦労は多いはず(とわが身を振り返り、いかに編集者に負担をかけてきたか考えた)。 だから、ハウツー本に比べてギャラは少ないといえども、目に見えない大変さがあるのだけれどなあ。 一昨日、 竹内洋岳さんが、11座目の8000m峰となるブロード・ピークに登頂し、昨日には無事にBCに帰還した。その嬉しいメールをもらったとき、実はご本人の登頂と同じぐらい、奥様が無事ちゃんと予定日に元気な赤ちゃんを産んだという報せが、あわせて書いてあったことが嬉しかった。さすが! 14座完登者は世界にはそこそこいるけれど、竹内さんようなレベルの実力者が日本には少ないことが、日本の登山界のレベルを現しているのだと思う。 14座は結果であって、彼のように8000m峰を無酸素で続けて成功させられるのはやっぱり実力なんだとつくづく思う。実はそう簡単なことではないのではないか。 |
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